毛利家第13代毛利高範
維摩居士の「一黙雷の如し」の軸ですが、昭和57年に一黙を損失してしまい、今では
「雷の如し」の部分しかありません。
この軸は、佐伯藩最後の城主である第13代毛利高範(もうり たかのり)公が明治27年(1894)(123年前)
27才の時に書したものです。※最後の藩主は第12代毛利高謙(たかあき)公です。
慶応2年(1867)12月5日生まれで昭和14年(1939年)6月12日に東京の自邸で74歳で逝去しました。
肥後宇土藩主細川行真の長男として熊本に生まれ、豊後佐伯藩主毛利高謙の養子となり、
明治10年(1877年)家督を相続、明治17年(1884年)子爵となり華族に列せられました。
明治21年(1888年)ドイツに留学、速記術を研究、帰国し宮内省式部官に任命され
佐伯に帰り日本語速記の研究を続け、大正9年(1920年)毛利式速記術として発表、
速記学校を設立して教授しました。
妻は越後与板藩第10代藩主:井伊直安公の娘であり、長女の千代子さんは近衛文麿に嫁ぎ、
後に近衛文麿公は内閣総理大臣になります。
毛利高範公