正定寺の鐘楼門
正定寺鐘楼門略歴記
❖延享2年(1745)4月8日 (272年前)
第九世寂水志堪和尚が鐘楼の造営及び大鐘を鋳鐘する(青銅:高さ3尺2寸・径2尺1寸)
大鐘の刻銘
❖宝暦12年(1762)2月15日 (272年前)
第十三世透隣祖寔和尚が鐘楼を改修(同時に庫裡新築・方丈・寮舎・東司・廊地門も改修)
❖安永9年(1780) (237年前)
第十三世透隣祖寔和尚が鐘楼を改築落成(二間・三間の茅葺き)
❖文政5年(1822)3月 (195年前)
第十六世珍宗禅味和尚が鐘楼建立(一間四尺・一間半の丸瓦葺き)
❖安政4年(1857)中秋 (160年前)
第十八世月渓祖梅(古心)和尚が鐘楼兼山門(鐘楼門)を落慶(同時に石段十六羅漢安置)
以前の鐘楼門
安政4年(1857)建立
この写真は大正5年(1916)(101年前)の第二十世鐵山義澄和尚葬儀(津送)
現在の鐘楼門
昭和13年(1938)建立
左側の樅の木が時代の流れを感じさせます。
(左手の鎮守堂は移動されました)
❖明治28年(1895) (122年前)
第二十世鐵山義澄和尚が鐘楼門改修(同時に本堂新築・位牌堂新築・土蔵・長屋新築)と菩薩会厳修。
❖昭和13年(1938)5月15日(旧4月16日) (79年前)
第二十一世千巖義光和尚が鐘楼兼山門(鐘楼門)を新築落慶
昭和13年5月15日(旧4月16日)に落慶した現在の鐘楼門
総代兼建築委員
戸高亀五郎小野嘉十郎長田松蔵小田常吉(会計)
矢野弥佑久保田弥佐蔵小野重太郎矢野秋蔵
廣瀬駒吉阿部繁蔵安藤弥吉平井熊蔵
尾形恒義竹元増太郎長田満二郎甲斐籐一
小野角太
現存の鐘楼門 第二十一世千巖義光和尚代
昭和9年に鉄筋コンクリートでの改築案が成立
昭和12年改築案を木造案に修正
昭和12年11月工事等落札
昭和13年2月に工事着手
昭和13年5月15日(旧4月16日)に落慶
総工費1786円
❖昭和17年(1942)11月22日 (75年前)
第二十一世千巖義光和尚が大鐘を政府に供出
❖昭和51年(1976) (41年前)
第二十二世豊嶽義弘和尚代に小野角太氏の一寄進で再鋳(高さ3尺1寸・径2尺)
昭和51年鋳造の大鐘(現在)
❖平成11年(1999)5月30日(旧4月16日) (18年前)
第二十三世寿山士朗和尚が万人講にて鐘楼門改修
❖現在の山門
正定寺の境内地
正定寺の建物
正定寺の本堂と庫裡
正定寺の土地資産
正定寺が所有する土地の一覧です。小字別に点在する末庵の境内・畑・山林は農地改革の時代に
当時の正定寺地区檀徒代表の名義に致しました。
地区代表の子孫の方も地区の共有財産と心得て末庵を地域でお祀りしています。
正定寺の宝物・什物資産台帳
正定寺の什物は仏像や掛け軸あ(頂相)などおおかたは江戸時代のものです。
什物帳に記されたもので既に所在が不明なものもあります。
住職の不在(無住)期間に紛失したようです。
現在では頂相などはお盆に本堂に掛けられ、秘仏以外はいつでも拝めるようになっています。