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正定寺の歴史

正定寺は臨済宗(禅宗)妙心寺派の禅寺です。創建は戦国時代の大永3年(1523)(494年前)です。

 

春山源右衛門は号を「赤木」と云い、当時この村を治めていた豪族で「赤木殿」と呼ばれていました。

中津留(現 佐伯市直川赤木)に正定寺を建立して開基となります。

その年の春、鎌倉の建長寺で修行を終えられた利翁益公禅師を迎え禅の教えを広めました。

 

現在、中津留(現 佐伯市直川赤木)の正定寺跡地には「海潮山観音庵」が建てられ、

開基 春山源右衛門と婦人の宝篋印塔も共に祀られていましたが、

昭和4年(1929)(88年前)開基の宝篋印塔は現在の正定寺へ移転しました。

 

理由は定かではありませんが、天正年間(1573~)に赤木から仁田原細川内へ再建、

細川内の正定寺跡地は「古屋敷」と言う地名で五輪塔など多数の石塔が跡地には点在しています。

現在は正定寺所有の山林が3町歩あり当時の面影を残しています。

 

貞享4年(1687)(330年前)佐伯藩主毛利公より仁田原村西方高地(現在地)に東西25間・南北14間の

現在地を賜り、元禄4年(1691)(326年前)に古屋敷の古材を使って庫裡を再建。

 

元禄8年(1695)(322年前)には本堂を再建しました。

 

安永9年(1780)(237年前)には本堂が再再建されています。

 

現在でも残る164段の石段を登り詰めるとに南面に本堂・東面に庫裡が建ち

眼下には「一に市福所、二に仁田原、三に因尾の堂ノ間」と言われる米所が広がり、

佐伯城の西南に在って近隣藩との境に位置する守望の寺として当時は建立されました。

 

23の末庵と東西南北に境外仏像を配し、境内地7千坪・荘園10万坪を有する禅寺です。

三度の本堂再建や諸堂の改築を行い、現在の本堂は明治20年(1887)(130年前)

第二十世鐵山和尚の代につくられました。

安永9年(1780)(237年前)の本堂再建での慶讃(養賢寺月山和尚)
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