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坐禅感想文(あ行)

アンカー 1
この投稿文章は「臨済宗妙心寺派正定寺の寺報」に掲載されたものです。

渡邊昭子さん

 

《会うは、別れの始め》

私の人生の大半の中で、決して忘れる事の出来ない程のさまざまな思いを残して、

風の様に去って行った最愛の友、故<麻生英子>さんを偲びながら筆を取りました。

諸行無常、死の近づく事を知りながら、残された日々を胸深くにおさめての会話は、

不安をさけるがごとく、元気の良い時と同じ語らいの続き、時には、しばしロを閉じ、

顔を合わせての目と目の話しに、いつか自分の顔のひきつりを感じハツとする時もありました。

想像を絶する病気との闘いの中に、友に・母の様に・また姉の様に

慕われ、最後を看取らねばならなかった事に今も心の痛む思いがいたします。

故人には、私達家族の受けた数限りない愛情と教訓にこれから恩を返さなくてはと思う矢先、

こんな出来事は「日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」と云う文字どおりでした。

故人、英子さんは、心から直川を愛していました。

地区の方々やお年寄り、子供たち、また若者たちにもいつも純粋な優しい気持ちで接し、

困った人々には助けの手を差しのべ、自分の事よりまず相手の人の事を真剣に

考えてあげる人でした。

合う人ごとに『健康には気を付けるのよ』・・『こうしたら長生きするわよ』と

諭す様に優しく言葉をかけている姿が日に浮かんできます。

故人になられて百ケ日も過ぎ、月日の経つのは早いのに、合う人ごとに『元気でいてほしかった』と

思い出を語りながら涙を流し、惜しまれています。

この度は、正定寺護持会広報部の方よりお話がありまして、正定寺様の御一家と故人とは特別のお付合で、

和尚様には再々のお手紙をいただき、病人の心の安らぎと希望の湧く友の顔を

しばし垣間みることが出来ました。また、若和尚様には、小さい時から毎日のように久留須で遊びましたので

たくさんの思い出が忘れられないのでしょうか、

何度も病院まで足を運ばれましたのに、その度に部屋の外でお断りをせねばならなかった

事を申し訳けなく思っております。

また、奥様や若奥様には私にまで幾度か差し入れや励ましのお手紙を頂きまして

痛む心に涙の出る程うれしく思いました。

 

「重症の長き月日をいとまなく親にも勝る最愛の友」(麻生英子様ご遺稿)

 

闘病にありながら思いを込めて作られた数々の詩に最後まで、共に闘い、ついてあげて良かった。

自分をこんなにも必要とされ、頼られた日々を今じっとかみしめています。

でもこうした経験をするには、家族の協力の大きかったことを忘れることは出来ません。

残された人生には、老いては、子に従う気持ちと感謝の言葉を大切に、

楽しい日々を送って行きたいと思っています。

渡邊嘉雄さん

 

《目覚まし時計》

私の父(嘉吉)は、平成3年に82才でこの世を去りました。

生前の父は私達子供に非常に厳しい人で、小さいときは随分叱られたものです。

小学校5年生位の時だった。家にあった目覚まし時計が動かなくなったので、何とか動かしてみようと

修理を始めたが時計の修理などやったこともない素人に直せるはずもなくとうとう壊してしまいました。

この時、父にこっぴどく叱られ家を飛び出して父が寝るまで帰れなかった。

元来呑気な性分だった私は、父の怒りが治まると又この目覚まし時計を持ち出しバラバラに分解し

ゼンマイの力を利用した、オモチヤの起重機を作ることに成功し楽しんでおりました。

これも父に見つかってしまい、又叱られるかと、おどおどしていたら、

「オイ、ちょっと動かしてみぃ」とニコニコ顔で、「こりゃーおもしりいなー」と感心し「嘉雄、起重機を動かしてみぃ」

と自分が作ったみたいに自慢していました。

その後、いくつかのオモチヤの機械を作っては、父に誉められたのを思い出します。

時がたち中学校を卒業する頃、私が、「僕は、延岡のおじさんに頼んで旭化成に入れてもらうきのー」と

言った時、父は一つも反対をしなかった。

今思えば、起重機を作った頃から父は私をエンジニアにしたいと考えていたような気がします。

延岡の旭化成に入社した私は、小さい時から大好きだった機械をいじれるエンジニアの仕事につくことができ、

延岡から水島(岡山県倉敷市)へと三十数年も機械と共に暮らすことができ幸せであった。

しかし、一方父にしてみれば、

子供に好きなことをさせたばかりに一緒に暮らすことが出来ず、晩年寂しい日々を過ごしながら

この世を去っていったのでは無かっただろうか。

厳しい父であったが自分の寂しさを一言も言わず、私の好きなことをさせてくれたことを感謝している。

父よ天国で幸せあれ、父と私の運命を決めた、目覚まし時計をいつまでも忘れること無く、

残りの人生を大切に生きて行くつもりです。

又この様な思い出のある故郷直川には、ことある毎に帰郷し父の供養を続けたいと思っています。

 

※起重機とは、昔、神原駅(現在の直川駅)で、木材を貨車に積み込むために使っていたクレーンのこと。

《直川少年野球クラブの坐禅会》

  

【稗田輝実さん】直川小学校6年生

ぼくは生れてはじめて坐禅 を学びました。坐禅をして思 ったことは、自分から進んやる、しんけんに

とりくむと言うところがだいたいわかりました。

初日は足やからだがガクガクふるえてたまりませんでした。

そして、坐禅の途中にかが 「ぶ~ん」 と、うろちょろして、ぼくの首の横にさしてぼくは、けんめいにがんばりました。

もう一度してみたいです。ようかんとまっ茶はとってもおいしかったです。

 

【下岡 淳さん】直川小学校6年生

今日はざぜん、おもしろそ うだったけど、ちょっとこわかったです。

とうとうお寺につき、そっくすをぬいで説明 してもらって、とうとう「カ チッ」「チ~ンチ~ンチ~ン チ~ン」と、

かねの音がなり ひびきました。

動かなくしよ うとしても、体がかってにビクビクとひとりでに動くから しんけんにおさえました。

みんながたたかれる音を聞いで ビクビクしていました。

最後に出たようかんとまっちゃはようかんを食べてまっちゃをのみました。

最初はまっちゃはいけると思ったんだけど、ようかんのあまさがうすれていくにつれて、

まっちゃがにがくなっていきました。にがかった。

 

六年生

柳井竜也・下岡淳 ・大原浩二・長田益樹・間紀一・稗田輝実・林洋和・冨高慎太郎・三浦薫

清水直人・星野公紀・飛弾祐亮・古川英明・村西隆行

五年生

染矢洋造・甲斐薫・稲吉征二・下岡勇司・後藤宗晃・山際豊和・小野貴庸・吉田貴志・

矢野裕之・星野孝弘・木許幸治・柳井秀則・渡辺貴幸・戸高崇

直川小学校五年生「親と子の坐禅会」

 

【武田憲和さん】・・・《坐禅》

ぼくは、座禅は、初めてなので、だいじょうぶかなあと、思いました。

座禅をしているときは、シ~ンと、していてしずかで、気持ちがよかったです。

ファミコンの、ピコピコピコピコファミコンの音がわすれてしまいました。

それに、おしょうさんが、「キョロキョロ、すんな」と、いったとき、ぼくは、びくつと、しました。

おかあさんも、びっくりしたと、言っていました。ぼくは、それから、ちょっと、ふるえてきました。

それから、一回めが、あわったら、フーと、ためいきが、つきました。

二回めは、ぼくたち全員たたかれました。

ぼくは、せすじが、まがっていたから、たたかれたと、思います。

おわってから、抹茶と、おかしをもらって、たべるまえに、おしょうさんから、抹茶は、しぶいので

あとで、のむように、いわれました。

ぼくは、しぶいお茶が、すきなので、抹茶は、だいすきです。

そうじは、お寺は、広いので、全部するのかなあと、思ったけど、少しでした。

とても、いい勉強になりました。ありがとうございました。お世話になりました。

 

【森川寿子さん】・・・《正定寺に行ったこと》

4月7日に、ざぜんとぞうきんがけをしにいきました。わたしは、そ~といやだったのにいきました。

ざぜんは、ちゃんとしていたのにたたかれました。ぞうきんがけは、きれいにしました。

最後に来た人と、お母さんたちできねんしゃしんをとりました。

ざぜんの時は、お母さんたちは、ぜ~んぜんたたかれませんでした。

わたしは、子どもだけたたいて、おとなにはたたかないなんてそ~とずるいです。

もう、ぜったいにいきたくはありません。

 

【山岡雅弘さん】・・・・《初めてのけいけん》

今日、ぼくは、初めてざぜんをくみました。

すわっていた時、ぼくは、「早く10分間たたないかな」と思いました。

1回めはなんてゆうことなかったけど、2回めは、すわっていたらとつぜん寺のおしょうさんが

「キョロキョロするなー」と大きな声でさけびました。

ぼくは、あの、おしょうさんからでたこえとは、とても思えませんでした。

そして、2回めは、みんな1回ずつたたかれました。

まっているときは、いつぼくの番かなとドキドキしてまっていました。

おわったときは、ほっとしてためいきをつきました。

そしてすんだ後におかしとまっ茶をもらいました。まっ茶はすこしにがかったです。

その後、そうじをしました。そのときは、すみからすみまでちゃんとふきました。

5年生になったら、今日したことをわすれずに、そうじとかもちゃんとしてがんばっていきたいです。

今日は、ありがとうございました。

 

【平井幸司さん】・・・《正定寺に行ったこと》

今日、正定寺にざぜんをくみにいきました。

来た人は13人で、クラス全員の半分以下でした。それから少しして、ざぜんをしました。

はじめ十分、あと十分しました。おぼうさんが「キョロキョロするな」といって「ばち」と、いうかしの

木で作ったほうで、たたみをたたいて言ったので、ぼくの横にある大がねが「ブワ~ン」となって

うるさかったです。ざぜんが終って、おかしとまっちゃをもらいました。そして、本堂のそうじをしました。

どっかこっかをそうじして、帰りになりました。そして、この作文用紙をもらって帰りました。

ばちでたたかれたのは、一番いたそうな昔がしました。

 

【木下 隆さん】・・・《正定寺で修行をしたこと》

今日、正定寺で修行をしました。最初に座禅をして、木のぼうで1回たたかれました。

気もちよがったです。座禅の時、キョロキョロするなと言われたら、びっくりしました。

おまんじゅうと、まっちゃを飲みました。まっちゃがにがかったです。そのつぎに、そうじをしました。

そうじは早くすみました。かいりに、かみをもらってかいりました。

かんそうを書くのは、いやだと思ったけど、山内君と、いっしょに書いたので、早くおわりました。

座禅をした時、最初はこわいかと思いました。でも、こわくありませんでした。

座禅はきんちょ うしました。

お寺のおくさんが写真をうつしてたカメラの音やあとからおくれてきた人の音がきになりました。

 

【わたなべしゅういち】・・・《おてらにいったこと》

きょう、にたわらの、てらにいきました。さいしょに、ざぜんをくみました。

初めの合ずは、木と木でたたくのが一回、かねが四回でした。

うごく人は、ほそくて、木でできた、ほうでたたかれました。ざぶとん二まいもってきて、

ざぜんをくみました。はじめは十分、終も十分でした。

のりくん、ぼく、まさしくん、まきひろ君、ひさこちゃん、あすかちゃん、あけみちゃん、たかしくん、

ひろくん、じゆんちゃん、やっくん、こうちゃん、みんなたたかれました。

すこし、いたかったです。せいざをして、おちゃとおかしを、たべました。

そうじを、しました。ふくとこが多くて、つかれました。

そしてかえりました。かえりは、こうじくんのくるまにのってかえりました。

 

【松下純子さん】・・・《お寺にいって》

今日は、お寺で、、ざぜんとおそうじをしました。今日ちょっと、お母さんの都合で、おくれました。

お寺についたら、皆は、ざぜんをしていました。わたしは、どうしていいのかわかりませんでした。

そして、森川さんのお母さんが、教えてくれました。よくわからないまま、すわりました。

そして、5分ぐらいたって、おしょうさんが、わたしの前に来て、手を合わせて、右手をかたにおき、

前におじぎをして、パンパンと、たたかれて、次にもういちど、左手をかたにして、もう一度パンパンと、

たたかれました。

そして、ざぜんが、おわっておかしと、まっ茶をもらって最初おかしをたべて、お茶をのみました。

お茶をのんでみたら、にがかったです。それで、おそうじをしました。

木でできているとこを、ふきました。そうじが、おわって.、ほとけさんの大きいようなのに、

おがんでかえりました。

そして、つかれたなと、思いました。いろいろべんきょうになったなと思いました。

やっぱり、ちょっと、しゅうちゅうりょくがすくなかったかなと、思いました。

 

【後藤あけみさん】・・・《ざぜんくみ》

わたしは、さいしょざぜんをくむのが、どうやるのか、わかりませんでした。

となりの、後藤あすかちゃんがおしえてくれました。

ざぜんをくんでみると、けっこうむずかしいなあと思いました。

ざぜんくみがはじまって、わたしは、たたみのせんをずっとみていました。

とちゅうで、「きょろきょろするな」といいました。

わたしは、びっくりしました。また、たたみのせんをみました。ざぜんくみがおわって、

おちゃをのみました。さいしょにおまんじゅうをたべて、おちゃを、のみました。

わたしは、のみきれなくて、のこしました。それから、そうじをしました。

お湯で、ぞうきんをぬらして、しぼって、ふきました。

すみずみまで、力をいれてふきました。

さいごにほとけさんいてをあわせて、かえりました。

 

【山内宏哲さん】・・・・《正定寺でしゅぎょうをしたこと》

今日、正定寺でしゅぎょうをしました。最初に座禅をしました。

おしょうさんが「きょろきょろするな」と言ったからびっくりしました。

それからおしょうさんが歩いて子どもだけにかしの板で、背中をたたきました。

たたかれる前に、いたいかなあと思ったけど、あんまりいたくありませんでした。

だからいたいおもいをしないですみました。その次に、正座をして、おかしとまっちゃがでました。

最後にぞうきんがけをしました。正定寺はやけによごれていました。

あんまりそうじをしていないしょうこだなと思いました。

ぼくたちがそうじをしたからきれいになりました。さいごに写真をせりました。

いい記念になりました。

 

【後藤亜素香さん】・・・《正定寺に行ったこと》

わたしは、正定寺では、ざぜんがとてもきつくて足がいたくなったけどがまんをしました。

ちょっとだけざぜんになれました。2回めには、みんな1回ずつたたかれました。

あとで、せなかのはねがいたかったです。でもいっときしたらなおりました。

それから、まんじゅうとまつちゃをもらったけど、みんなしーんとしているので、

わらいそうになりました。でもわたしはがまんをしました。とてもきつかったです。

それにおまんじゅうは、あまかったけど、まっちゃがとてもにがくてぜんぶまでは、のみませんでした。

それから、そうじをしました。しようじのとうるところがいっぱいごみがありました。

ざぜんとそうじのしかたをおしえてくれて、ありがとうございます。

学校に行ってもそうじをきちんとしたいとおもいます。ありがとうございました。

 

【おのまさしさん】・・・《ざぜん》

ぼくは、はじめてでどきどきしました。いっかいめに足をあげたら、いたかったです。

にかいめは、りょうほういたかったです。

おかしとまっちゃは、おいしかったです。そうじはすみずみまでしました。

そうじのとちゅうに、なんかすごいのがありました。

そして、かみさまは、大きいかったです。そして思ったのは、どうやってはこんできたのかなと思いました。

そして、みんなでしゃしんをとって、おがんでかえりました。とってもいい、しゅぎょうになったです。

 

【甲斐泰光さん】・・・《お寺に行って思ったこと》

今日、お寺にざぜんと、そうじに行きました。

お母さんは10時からと言っていたけど、ぼくは、早くいきたくて、お母さんを、せかしながら、

いきました。

着いたのが9時すぎで、だれもいませんでした。だから、ゆびずもうなどをしながら40分ぐらい、まちました。

しばらくすると、みんながきました。

つぎにざぜんを10分10分しました。しているとき、おしょうさんが、木のぼうをもったような気がしたので、

だれかたたかれるのかなと思っていると、「キョロキョロするな」といって、たたみをたたいたので、

びくっとしました。ざぜんが終ると、おかしとまっちゃをいただきました。

つぎはそうじです。でも、かんたんだなと思って見ていると、あんがいむつかしかったです。

帰る時に、お母さんと、つらかったけど、おもしろかったなと思いました。ありがとうございました。

わんぱく5年生とハリキリかあさん

 

【川本久美さん】・・・五年生父母

盛暑の夏の夜、とてもステキな体験をすることができました。

五年生と父母が参加して、座禅をすることになったのですが、初めてのこと、

どうなることかと不安でいっぱいでした。

住職の説明があって、まず合掌して左手を右肩に乗せ、前にまるくかがむと、

住職が棒で打ち、今度は、その反対の肩を打たれたら合掌して、もとの姿勢にもどって、

座禅を組むとのこと。時間は30分を二回とその間5分の休みが入いる。

その間、たとえ、かがさしても動くことは許されないとのこと。

一斉に皆の〝エ~!!〝という声、〝そんなー!!〝と思わず不安でいっぱいになる。

説明が終わると一斉にオトイレへ、〝ワァーワァー″と騒いでいた子供達が、

住職の合図の鐘が鳴ると一瞬にシーンと静まり、座禅が始まった。

正座ではなぐ前に足を組んでするので、30分位と思っていたが、これが思ったよりつらいもので、

体の感覚が徐々になくなり、頭の中は空っぽになり、背骨が曲がり、力もなくなり、

お腹の力を入れようとするのだが感覚がわからない。体がゆれている様な気がしてきた。

もうだめかと思うのだが、子供達は誰一人として音をあげる者がいない。

これには驚いてしまった。

誰れかが声を出したり、姿勢をくずしたり住職の声がとどろくのではと思っていたのに、

子供達はいつの間にか成長していたのだ。

親が思っているより、遥かに立派になっていたことを思い知らされた。

子供達が頑張っているのに、親が負けられない入歯をくいしぼって、汗をかきながら、

頑張った。やっと、30分が終わり、5分間休み、足を伸ばしたりして、又30分間の座禅が始まった。

一回目に比べると、時間が遅く感じられたが、心なしか精神的にも、肉体的にも楽に感じた。

住職から棒で打たれると皆声を出すこともなく、心からお礼の合掌をしました。

カにさされ、汗をかきながら、とてもいい顔をしていました。

お寺の方々のご協力に感謝して、子供達の成長した一面を見ることができて良かったと思います。

 

【山内京子さん】・・・五年生父母

五年生三十八名と、先生、父母の気持ちが一直線になったような気がした座禅会でした。

三十分座禅をして、少し休憩、又三十分の座禅でした。全員がんばりましたね。

先生、教室の中の子どもたちとくらべてどうでしたか?。

五年生のみんな、「自分たちもやれるんだ」という、自信がついたのではないですか。

座禅をした経験を大切にして、これからの学級作りに役立てて下さい。

正定寺の和尚様、奥様、お世話になりました。

前回と今回の座禅会で、和尚様や奥様と、親しく会話をさせていただき、今まで持っていたお寺の

イメージが、変わりました。前より身近かに思え、親しみを感じました。

子どもたちもきっと、同じ事を感じたと思います。最後の質問の時間も、いろいろな質問がでました。

一人一人にわかりやすく答えていただきました。その答えの中の一つに、二十一時間座禅をして

三時間睡眠という生活を一週間もするというのがありました。禅宗のきびしさを感じました。

亜希さんが夏休みまでで、転校するというので、お別れの会でした。

子どもたちも、良い思い出になったと思います

 

【首藤公宏さん】・・・直川小学校五年生担任

7月13日、私は学級の子どもたちと座禅を組みました。

私を含め大部分の子どもにとってそれは初めての経験だったようです。

翌日、子どもたちに感想を聞いてみると、「きつかった]「だるい]「よかった]「いい経験になった

と様々な答えが返ってきました。

その中のある子は、「最初はきつかったけど、しているといろんな気がしてきてよかった]と言っていました。

最近よく、子どもの心の問題がとりあげられます。「心が貧しい]「心がない」などです。

しかし、子どもには本当に心がなくなりつつあるのでしょうか。

辞書を調べると心のつく字がたくさんあります。愛・念・忍・恥・悲など様々です。

心には何か行動がともなうことで、より意味を広げる力があるのかもしれません。

今回座禅という子どもたちが不断経験することのない物に接することで、

子どもは、また新しい心を作ったのかもしれません。

家庭を含め地域の人々が一体となり、より幅広い活動をする中で、

子どもの心は作られ、直川に生きる、たくましく、心豊かな直川っ子が育っていくと思います。

花園会少年少女研修会

 

【高原伸二さん】・・《仏山寺に行ったこと》

8月27日、ぼくは平井君と武田君と久保田君の四人で湯布院の仏山寺に修業をLに行きました。

いろいろなところからたくさんのともだちが来ていました。

1日目はざぜんのしかたやお話をききました。そしてさいしょの日はアッというまにおわりました。

次の日は朝5時30分におきました。ぼくはパッと目がさめました。6時に朝のおっとめをしました。

それからざぜんをくみました。ぼくはちょっとゆだんしたのでたたかれてしまいました。

それから朝食をたべました。8時30分から写経をしました。あまりうまく書けませんでした。

そして10時30分になって閉会式になりました。

二日間はすぐにおわってしまったけど、とてもためになったと思いました。また行って修業したいです

 

【武田憲和さん】・・・《花園研修会》

ぼくは、花園研修会でいろいろなことをまなびました。まず、ざぜんがありました。

ぼくは、1回したことがあったので、かんたんでした。でも、したことがない人は、むずかしかったと思いました。

入浴にいき、夕食のときは、びっくりしました。はしは、口につけるところだけ、

テーブルにつけていませんでした。

あと、少しだけ、ごはんを、うつわのうえにおいて、虫たちにやりました。

次の日は、また、ざぜんをしました。だけど、今度はちがうところでしました。朝食をとりました。

次に、写きょうをしました。写きょうは、しゆうじみたいなので、にがてでした。

写きょうが終ったら、感想文を書きました。友達もできて、とてもよかったです。いい思い出になりました。

 

【久保田伊織さん】・・・《仏山寺での生活》

ぼくは、行く時、仏山寺でなにがあるかわからないけど、まあついて行けばいいやと思って行きました。

とちゅうで、車にのっていた時、おしょうさんがまよってしまいました。

とにかくやっと、湯布院の仏山寺に着きました。仏山寺を見てびっくりしました。

古いお寺で屋根が、わらでできていました。

昔風のお寺ですごくふんいきがちがっていました。門がおしろのような感じでかっこよかったです。

見ためでは、小さなお寺の様だったけれど中に入ってみると大きかったです。

そのあと友達とふざけあったりしました。次はおまちかねのざぜんです。

友達が二発ずつ、ばっしん。ばっしん。とたたかれてしまいました。

すごいひびきです。ぼくは、きんちょうしてすわっていました。

ざぜんは直川でやった時とすきしかわっていました。とても長い時間がたったようでした。

夕べのつどいは、おしょうさんの話がおもしろかったのでわらいました。

話や花火で他の学校の友達ができました。あだなもすぐつけました。

夜、広い本堂にたくさんのふとんがならべられてねました。友達がわざとけってきました。

「いてえなあとけりかえしました。」みんななかなか、静かにねませんでした。

友達のいびきがうるさかったです。次の朝起きたのが、五時三十分でした。

ぼくは、ぴったしちょうど、五時三十分に起きれました。

写経がありましたが、友達からうまいといわれました。

二日間のお寺の経験でしたが、身がひきしまって、すがすがしい気持ちで帰りました。

また、来年も行きたいと思いました。

 

【平井幸司さん】・・・《仏山寺の思い出》

八月二十五日、朝早くに正定寺のおしょうさんの車で、湯布院の仏山寺に座禅会に行きました。

12時ごろにつきました。本堂にたくさんの人がいました。にもつをおいて、開会式のような事をして、

おきょうの本をもらいました。ほとけ様にみんなでおきょうをあげました。

その後すぐに、座禅をしました。日程表には一時間と書いていたのに20分ぐらいで終りました。

4時ぐらいにお風呂に入りました。ちょっとあつかったです。お風呂から出て夕食を食べました。

食べる前に般若心経を読みました。食べ終って30分ぐらい自由時間の後に花火をしました。

自己しょうかいをその後にしました。9時にしょうとうをしてねました。

3時ぐらいに目がさめてまたねました。次の日は、朝食を食べて座禅をしました。

自由時間の後に写経をしました。ふでで、おきょうを書くのでむずかしかったです。

昼食を食べて閉会式のようなものをしました。そして帰りました。

帰りのと中でアフリカンサファリによりました。帰っているとき、つかれて車の中でねてしまいました。

座禅会で友だちもできたしとても楽しかったです。

全国花園児童習字大会

 

《金賞をもらって》・・・【笠嶋 秀さん】

ぼくは、さいしょ、先生から「金しょう」と言われた時、とび上がりたいほど、うれしかったよ。

今までで、一番おおきなしょうだったよ。

ぼくは、さいしょ、「花園会の作品を書く」って言われた時、「今年こそ金しょうをとれるようにがんばるぞ

と心の中で思ったよ。

一番むずかしかったのは、「命を大切に」の「命」というかん字だったよ。

作品のさいごの一まいめを書く時、しんけんに、しゅうちゅうして書いたよ。

ぼくは、「とめ」、「はねる」を注意したよ。

さいごの一まいめが一番うまかって、先生が、「かたづけていい。」と言ったよ。

金しょうをとって、三年間、習字をつづけてて、よかったと思ったよ。

お寺の書道教室は、お話をしながらみんながんばって、習字をならっているよ。

習字が終ったら、友だちとドッジをしたりしてあそんでとても楽しいです。

このつぎも、またがんばって、金しょうをとりたいです。

  

《金賞をもらって》・・・【山下朋美さん】

わたしが、習字に入ったのは二年生のときです。

そのときは、字がへたでした。

でも三、四年生となっていくうちに、だんだんうまくなってきたと思います。

毎週土曜日の一時からがんばって習字にいってきたからと思います。

でもときどき行きたくないなあと、思ったこともあります。

でも行って時間がたっていくと楽しくなってきます。

それにわたしは、どっちかというと、こう筆より毛筆の方がすきです。

わたしのだん級もこう筆より毛筆の方が上です。

花園会文化てんでは、わたしが二年生のときは銅賞でした。

三年生のときは銀賞で四年生になってはじめて金賞がとれました。

お母さんは、「しんさいんの目がおかしかったんじゃなかったの」といって笑っていました。

おじいちゃんは、それでも金賞がとれたんだからいい」といってくれました。

自分でも、しんさいんの目がほんとうにわるかったんじゃないのかと思ったけど、

でもとってもうれしかったです。

わたしはこれまで、三年間がんばってきたかいがあったと思います。

それに、おじいちゃんも、「しんけんにやればできる」といっていたので、これからもがんばりたいと思っています。

正定寺の坐禅会(夕べのつどい)

 

《正定寺の坐禅会に参加して》

【河村美樹さん】・・・五年一組

今日(七月二十四日)、五年一組と二組の合同の正定寺での座禅会がありました。

五年生は二クラスあるので全員での行事は少ないだけに夏休みが来るのが大変待ち長かったです。

座禅は、ほとんどの人が初めてなのでとても不安でしたが、初めに和尚さんの説明があって、

まず合掌して左手を右肩に乗せ、前に丸くかがむと、和尚さんが棒で打ち、今度は、その反対の肩を

打たれたら合掌して元の姿勢にもどって座禅を組むと言いました。

正座ではないので初めは楽な気がしていましたが、足がしびれたり、鼻の頭がかゆくなったりして、

何時、和尚さんから肩を打たれるかとても心配でドキドキしました。

その後でカレーを皆で食べました。

和尚さん、和尚さんの家の人、先生、カレーを作ってくれたお母さん、

私達は楽しい夏休みの思い出が出来ました。ありがとうございました。

 

《坐禅会の感想(夕べのつどい)》

【甲斐博美さん】・・・五年二組

7月24日、午後5時30分から坐禅会がありました。みんな、初めてなので、ちょっときんちょうしているようでした。

最初に、正定寺のおしょうさんから、ざぶとんのしき方とすわり方を教えてもらいました。

そして、みんなおしょうさんから教えてもらったようにすわって、2時間、坐禅をしました。

だんだん足がしびれてきて、ちょっと動いている人もいました。

みんな終わると、足をたたいたりせのぴをしたりしていました。

そして、正坐をして、ようかんと、抹茶をいただきました。

おしょうさんが「ようかんを少し口の中に残しておいて抹茶を飲むと、おいしい」と言うことを言っていたので、

してみると、とってもおいしかったです。

ざぶとんを、かたづけて、今度はお母さん達が作ってくれたカレーライスを食べました。

みんな、おいしそうに食べていました。

みんな食べ終わったので、記念写真をとって、おしょうさんのお話をききました。

そして、えんぴつと、消しゴムをもらってから、帰りました。

手はいたくなかったけど、足がきんきんしていたかったです。

目も、2時間同じ所を見ていたので、ちょっとぼやけて見えました。

ちょっとつかれたけど、いい経験になりました。

正定寺子供お習字会

 

《始めての金賞》・・【吉田晃佑さん】

ぼくが、金賞をとりました。「ああ、よかったな。」と思いました。

なぜなら、ぼくが習字を習い始めて、三年ですが、まだ一度も金賞をもらったことがありませんでした。

学校でも、いろいろな大会に作品を出したのですが、いつも銀賞か銅賞しかとれませんでした。

でも、今回は、金賞がもらえました。ぼくだけが金賞でした。本当にうれしかったです。

一週間に一回のおけいこですが、ぼくはときどきふざけたりして、まじめにしない時がありました。

先生に注意されることがずっとでした。そんなとき、ぼくのおかあさんは、とってもおこります。

こんなふうに言います。

「人と同じことができないのならやめてしまいなさい。あんた一人のためにみんなにめいわくがかかるのよ。」

ぼくはとってもおかあさんがこわいです。

今度も、金賞をとった感そうを書きなさいと言われて、そのままにしてました。

何を書けばいいのかわからないのに、何回も「書きなさい。」と、言われました。

ぼくは、その時、「うるさいな。」と思って、ついつい本を見たりしました。

いつも、いつもおこられてばかりでしたが、今まで続けてきて、本当に良かったです。

今、四年生です。まだまだ三級です。もっともっと頑張って、初だんになりたいです。

みんなに負けないように、頑張ります。

  

《中学にむけて》・・・【六年簀戸真由美さん】

私が中学にむけてがんばりたいことは、いろいろあります。

その中でも勉強をおもにがんばりたいと思います。そして、いろいろなスポーツにもちょうせんして、

健康にきをつけたいです。

それから、小学校生活では、委員会も五年生と四年生が新しくきまり、うけつぎをしました。

私は、『ちょっと、だいじょうぶかなあ』とふあんがありましたが、今の五年生なら、しっかりしているし、

委員会の仕事もちゃんとやってくれるんじゃないかと思います。

そして私が小学校三年の終わりごろから、ずっと今まではいっていた習字が中学になったら、

できなくなってしまいます。

私は、段にいきたかったんだけどいけないままやめてしまうのが残念です。

いろんなことがあったけど、楽しかったし、それに前にくらべると、習字もかなり上手になったんじゃないかと

思います。

また習字にはいるチャンスがあればはいりたいと思います。

中学生になったら、勉強や朝早くおきたりして、いそがしいけどがんばりたいです。

《夏休み坐禅会:直川小学校5年生》

  

【甲斐磨愉さん】・・はじめてのざぜん

わたしがざぜんをくんだのははじめてで,はじめはきんちようしてました。

おしようさんからざぜんのくみかたをおしえてもらって一度すわってみたけど

少し足がいたかったです。それに足がいたくて、もそもそ動いていたりしていたら、

一ぷんほどだっておしようさんから「動かない〃」とどなられた時はびっリして気持がびしっとしました。

それからおしようさんが「自分で気がゆるんだり動いたリしたなと思う人は手を

自分からあわせなさい]といわれたときわたレは自分の心の中で迷ってしまいました。

自分から手をあわせる勇気がなくてモジモジしている自分がいやでしだ。

でもおしようさんが最後にみんなたたいてくれてわたしはとてもうれしかったです。

もしまたざせんをくむ時がきて、もしその時もまたモソモソ動いていたら

今度はぜったい自分から手をあわせられるようになりたいなと思います。

それに最後に食べた力レーはとてもおいしかったです。

 

【矢野宏和さん】・・・ざぜん会の思い出

ぽくが、ざぜん会に来て1番心にのこったのは、二時間ざぜんしたことです。

日ごろ使わない集中力を一時間の間たくさん使い、きちんと最後までやりとげたことです。

だから終ったあと、とってもうれしかったです。

そしてもう一つ、おしようさんの言っていた「お母さんたちにれいをする」は、ほくば初めてでした。

そして、お母さんたちにれいをしてもらうのも初めてでした。

もちろんざぜんをしたのも初めてでした。

そして、二時間もあまり動かず、集中していたのも初めてでした。

だから、終ったあとのよろこびは、うんどう会で一番になつた時、いやそれ以上だつたです。

それだけがんばった後だからカレーやようかんがいつもよりおいしくかんじました。

ぽくはざぜんをしてわるいことはなかったな、初めてやったことがたくさんできて

よかったなと今でも思ってます。

 

【古城清志さん】・・・ざぜん会のかんそうについて

夏休みの終リに、ざぜん会がありました。四時二十分くらいにはじまりました。

三十分、一時間と、時がたつにつれて、つらくなってきました。そして、やめのあいずがあった。

ざぜんの後の抹茶とようかんがうまかった。今日のざぜん会はきつかった。おわリ。

 

【森竹俊さん】・・・ざぜん会

きようはざぜん会に行く日です。

ぽくは行く前はそんなにつらくはないんじゃないかなあとか、けっこうきついかもなどと

思いながらお寺に向かいました。

着いてざぜん会が始まるとこれは大変だと思いました。

やっている時はすごく集中力がいりと中、ねむリそうになった時も少なくはあリませんでした。

と中でちっちゃいくしゃみをして、たたいてもらった時もありました。

かにさされて、とてもかゆい時もありました。

そして終わリ、ようかんと、まっ茶をいただいて食べました。

ざぜんの終わった後のようかんとまっ茶はなぜかとってもおいしかったです。

その日、おしょうさんにはとてもお世話になりました。

 

【御手洗佳奈さん】・・・ざせん会

私はざぜんをくんでいるとき、いろいろなことを考えていました。

集中しなきゅとか、あのせんはヘんなかたちだなとか、今何時だろうなど。

でも何分かたって足がいたくなリ、つかれてきました、でもいっしようけんめいがんばリました。

みんなのたたかれる音を聞いていると、自分がたたかれてるような気がしてきました。

それで、自分がたたかれてる気がするのは、自分のしせいなどが悪いからだからかなと思いました。

おしようさんにたたかれた時は、あまリいたくなく、自分が悪かったので、なぜかスツキリしました。

また春休みなど、みんなでまた行きたいです。

 

【柳井直人さん】・・・坐禅会のかんそう

坐禅をしたのが初めてで坐禅をやるときにきんちようしていました。

でも少し足がじリじりしてきたけどがまんしてできたのがぽくのよい所でした。

わるい所は顔や足を動かしたのがぽくのわるい所でした。

足のゆびや足をうごかしたリした所がわるかったと思います。

ぽくは坐禅会が始まるまではほんとうに坐禅ができるか心配でした。

でも終った時とても安心しました。みんなで食ベたカレーはおいしかったです。

 

【前田哲明さん】・・・ざせん会のかんそう

ぽくは、ざぜん会に行って、よかったことは、まっちゃがうまかったことと、プレゼン卜を

もらったことがよかったです。

ざぜんをしている時はけっこうきつかったです。

おしようさんがたたみをたたいたときはすごくうるさかったです。

なぜならぽくは、一番前にすわっていたからです。

そして、ざぜんが終って力レーを食ベるときにぽくはその日あまリしょくよくがなかったので

あまりはやく食ベれませんでした。

ざぜん会が終るときに話があってそのときにとなリのきよしがあやしいことを言っていて

ぽくは笑ったので悪かったと思います。

ぽくはまたざぜんをしに行こうとはあまリ思いませんでした。

 

【柴田望美さん】・・・ざぜん会のかんそう

私は、初めにざぜん会は、せいざとおもっていたけど、あぐらときいてびっくリしました。

けどやってみて初めはうまくできるかわからなくて、けどうまくいってよかったです。

けどぽうでたたかれ、おしようさんからもう少ししたら終わるからがんばれよ〃

と言われてよしがんばるぞっておもったけどげんかいでもう足がいたくていたくて

たまらなくなってついつい足をうごかしてしまいました。

けど、最後になってがんばれてなんとかぽうのでたたかれたのはきっとあリがたいとおもっています。

おしようさんヘおしようさんほんとうにざぜん会におせわになりました。

また、遊びにいきます。たぶん冬休みにまた行くとおもいます。

そのときはよろしくおねがいします。

 

【曽宮由香さん】・・・ざぜん会

私は、ざぜんがこわいと思っていて、あまり行きたくありませんでした。

六年生の人から「たたかれないよ」と書っていたので、

ちよっと私のこわいと思っていたより、こわくないと思ってざぜん会に行きました。

みんなが、あつまって、私たちは、ざぜんのくみかたをならいました。

足がざぶとんにつかなくて少しいたかったです。

三十分のきゅうけいが早くこないかなあとたたみをじっとみていました。

三十分のきゅうけいのとき足がのびませんでした。

一時闘三十分がおわリました。せいざをして、お母さん方に、ようかんと、まっ茶をいただきました。

お母さん方にれいをされるのがはじめてで、なんだか、れいをされるとはずかしいと思ってたけど、

ぜんぜんはずかしくなかったです。

はじめてのけいけんがいっばいできました・力レーもおいしかつたです。

でも、私は一回たたかれました。私は、自分が少し動いたからだと思っています。

いたいと思ったけどいたくあリませんでした。

私、が磨んしないといけないときは、ざせん会を思い出してがまんできると思います。

いろいろとあリがとうございました。ふくろもあリがとうございました。

大人になっても、ざぜんをわすれられないと思っています。少しはがまんができるようになリました。

ほんとうにありがとうございました。

 

【後藤謙治さん】・・・ざぜん会

ぼくは初めはだいじょうぶだったけど一時間たったら首とか足とかがいたくなったりしても

できるだけがんばったけどがまんができなかったからこんどするときは

一回もうたれずに二時間ざぜんをくみたいです。

それでカレーをお母さんたちがつくってくれてみんなではなしをしたりして

食べてじんとりとかをしておぽうさんの話をしておみやげをもらってかえりました。

 

【大友美穂さん】・・・坐禅会に出席して

わたしは、夏休みの行事の坐禅会に、こうたろう君といっしよに参加しました。

まず最初に、みんなで坐禅をくみました。わたしは生まれて初めて、坐禅をしました。

長い時間、少しも動かなかったことはあリませんでした。

おしようさんにたたかれたときは、なぜか心がひきしまりました。

つぎに、ようかんとまっ茶をのみました。まっ茶ののみ方は母からおしえていただいたので

じようずにできました。

お母さん方がそのあと、カレーライスを食ベさせてくれました。

食事の後は、おしようさんからお話を聞きました。

おしようさんは「いままで、このお寺に子どもが何人かきたなかで、五年生は一番いい」と、ほめられました。

それが一番心に残リました。

わたしは、坐禅会に参加して本当によかったと患います。

 

【小野ゆかりさん】・・・坐禅会

私は最初「できるかな」と思っていました。

最初は少し足がしびれていただけだったけど、二回目は、太ももがいたくて足が動かなくて、

足をたたいてやっと少しいたさがなくなリました。

おしようさんにたたかれた時はあまりいたくはなかったけど、アブにさされてとてもかゆかった。

お母さんたちが作ってくれた力レーはとてもおいしかったけど、

グレープフルーツのゼリーもまっ茶もとてもおいしかったです。

 

【首藤有加さん】・・・ざぜんの感想

最初私は、ざぜんっていたいのかなあと思っていました。

すわったときはどうもなか「たけど十分二十分と時間がたっていく、足もすこしずつしびれてきました。

夕方になりだして「か」が多くなりかゆくてがまんできなかった。

でも、がまんをした。やすみじかんのときは足をのばしたリ手をのばしたりしました。

やっとざぜんが終わりました。つぎにようかんとおちゃをのみました。

おちゃはちよっとにがかった。

つぎに力レーをたべておしようさんのはなしがあって終りました。とてもきつかったです。

 

【橋本優さん】・・・ざせん会の反省とうれしかったこと

ぽくには一つ反省するところがあリました。

その一つとは、始める時にふざけてしまったことです。

うれしかったことも一つあリます。

それはおしようさんにほめられたことがすごくうれしかったです。まっちゃもおいしかったです。

カレーもおいしかったです。

それにおしようさんに、てさげをもらいました.帰リに山の方が時々光っていました。

お母さんに聞いたら「遠い所にかみなりが落ちたから音がしないのよ」とおしえてこれました。

つかれたけどとてもいい気持ちでした。

 

【芦刈匡輔さん】・・・坐禅会の感想

八月二十九日に正定寺で坐禅会があリました。

ぽくはその日の朝から正定寺の近くの親せきの家に行っていました。

そこで正定寺の寺報を見せてもらいました。

それを見せてもらった時少し坐禅に対する気持ちが変わりました。

そのあと正定寺に行ってお尚さんの説明があって坐禅が始まリました。

初めは三十分くらいの短い時間でした。でも初めは特にきんちょうしました。

二回目か一回目の時によく覚えてないけど一回か二回たたかれました。

坐禅の途中あぶにさされました。

最初は痛かったけどがまんして坐禅が一時的に終るのをまちました。

坐樟が終わると洋かんと、まっ茶をいただきました。

その時夕食のカレーを食ベて外で遊んだりして帰りました。

坐禅会で思ったことは座禅をする時間がみじかかったこととそうぞうしていたのよリ

きびしかったことです。なかなかつかれました。

 

【河村雄太さん】・・・ざぜんについて

ぽくはざぜんをして、少しよかったと思いました。

一つは、ざぜんをしてから、しせいがよくなったと思います。

もう一つは、あれからぽくはけじめがついたような気がします。

ぽくは、これからもこのふたつのことをまたもとにもどらないように、つづけてゆきたいと思います。

そして、ざぜんをしていてたたかれた時は、とてもいたかったけど自分が動いたのだから

しようがないと思います。

そのあとのようかんはおいしかったけど抹茶がとてもにがかったです。

そのあとのようかんはおいしかったけど抹茶がとてもにがかったです。

みんなギャグをいっばい言って大笑いしました。

 

【立箱菜津美さん】・・・ざぜん会について

私は、はじめざぜんは.せいざをしてすわるのだと思っていました。

だけど、あぐらだったので、すこしらくだなと思いました。

ですが、やってみると、そうかんたんなものではあリませんでした。

私は、長い時間、同じすわりかたでいることはできませんでした。

だけどざぜんをして私は、がんばればできるということがわかつたのでとてもうれしかつたです。

それに最後にのんだまっ茶もはじめてだし、水ようかんだって初めて食ベました。

まっ茶や水ようかんのあとに食ベた力レーやゼリーだっておいしく食べれてよかったです。

それに、お寺でみんなで楽しく遊ベたのがよかったです。

わかこちゃんのお父さんとお母さんに、ブレゼン卜をもらってありがとうございました。

 

【河村聡志さん】・・・ざぜん会の感想

ぽくは、八月二十九日にあったざぜん会をやってよかったと思っています。

その理由は今までにないいい体験をしたからです。

でもその体験は、和可子ちゃんのお父さんがおぽうさんであったからです。

もし他の仕事をやっていたら、一生こんな体験は味わえなかったと思います。

だからこれからも、こんな体験を味わっていない人たちに味あわせていい

体験をさせてあげて下さい。

そしてなによりもこれからもお元気で。

 

【山内智尋さん】・・・ざせん会

きよう、ざぜん会がありました。

まずおしようさんの話がありました。そしてざぜんのはじまりです。

はじめはちよっといたかったけど二年のとき、まい日せいざをしていたのでいたくなかったです。

おわってまっちゃやようかんや力レーをたベました。

とてもおいしかったです。

 

【吉田晃佑さん】・・・ざぜん会

ぽくは、ざぜん会でよかったことはカレーを食べれたことです。

おしようさんにたたかれたのはいたかったけど楽しかったです。

その後のかんそうもちよっとかんがえました。 

 

【大友広太郎さん】・・・ざせん会について

ぽくは、ざぜん会について反省することが二つあリます。

まず一つめは最初の三十分の時、体を動かしたリしたことです。

二つめは目線がきょろきょろしていろいろな所を見てたことです。

こんどまたやるきかいがあったら、今度はそのてんを治したいです。

それとよかったことは最後の方、足がいたかったけど足のくみ方をかえなくて

んばったことだと思います。

そして最後に食ベた力レーはとてもおいしかったです。

そしてみんな最後までがんばれてよかったなあと思いました。

 

【小原和可子さん】・・・坐禅会での感そう文

八月二十九日午後四時から坐禅会があリました。

四時には、五年生二十五人が集まリました。

初めは、気がゆるんでいましたが、警策がバンとなった時、一瞬にして気がひきしまりました。

初めは、三十分坐禅を組んでいました。

「このちようしだったらあとニ十分でも、一時間でもだいじようぶだな]と思いました。

でもそんなに軽くなくて、思ったよリきつかったです。

そして、一番心に残ったのは最後のカレーでした。いつもよりとてもおいしかったです。

それに、まい子ちゃんが作ってくれたグレーブフルーツのゼリーもおいしかったです。

あと私は、いつもとちがうお父さんが見れてよかったです。

でも「お父さんじゃなかったらもっとよかったんじゃなかったかな]とも思いました。

 

【村上昌之さん】・・・ざぜん会の感想

ぽくは、ざぜん会に行く前は全員は最後まではざぜんができないと思っていました。

ざぜんをしている時は足がいたかったけど、おしようさんがまえを通ると

たたかれるかなと思ってきんちようしました。

ぼくは一回しかたたかれなかったけどゆうくんは何回もたたかれていました。

いつもなら、泣いてもおかしくなかったけど泣いてなくてがんばっていたと思います。

ざぜんが終っておしようさんが「何百人もきたけれど一番よかったです]と、

言われてとてもうれしかったです。また、行く機会があれば行きたいです。

 

【西田麻衣子さん】・・・ざぜん会

私はざぜん会が始まる前は・兄ができたのであんしんしていました。

ですが始まった時はとてもきんちようしました。

とちゅうで「あぶ」にさされたこともありましたが、

さされるまでがまんできたことは、まあまあ、良いことと思いましたが、

「あぶ」にきずかないくらいしんけんになれたら良かったと思いました。

ざぜん会のことを想い出して運動会や、大きな事業に集中したいと思います。

ほんとうに、ありがとうございました。

 

【下岡勝さん】・・・ざぜんについて

ぽくは、正定寺に行く前足がいたくならないかな、たたかれないかな、たたかれたらいたいかな、

などと思いきんちようしていました。

そして、ゆう太くんちの車でいきました。

ひろかずくんものっていました。とちゅうでゆうくんがいたけどみすてました。

その時のゆう君の顔がサイコーでした。

その後もどりゆう君をのせて正定寺にいきました。

そして、いろいろしてついにざぜんが始まりました。

最初の方はきんちようしていたけど後でもうなくなりました。

たたかれたときはいたかったけど最後までがんばってやれてよかったです。

終った後のようかん、まっちゃ、カレーはとってもおいしかったです。

西田三津子さん(五年生PTA)

 

《親子の座禅会によせて》

五年生全員二十五名、先生数名のお母さんで始まった座禅会です。

和尚様にお願いしたものの、教室での子供の姿を見ている私達には、不安でいっぱいです。

説明を聞き、始まって十分くらいの時でしょうか、「動くな」と言う大きな声と、けいさくで畳をたたく音に、

気持ちが引き締りました。もう誰にも頼れない、それぞれが自分自身とのたたかいです。

畳の一点を見つめ、背中、足の痛みをこらえ、体を動かさずに………。

いつの間にか頭の中がからっぽになり、何とも言えない満足感がありました。

心配していた子供達も、誰一人、音をあげることなく、休憩を入れての二時間を座りぬきました。

静かに座禅が終り、親が子に、子が親にていねいに頭を下げ抹茶が配られました。

羊かんの甘さと、抹茶のにがさも特別なもののように感じられました。

後で聞くと、「もうしたくない」と言った子供もいましたが「やればできる」という自信と、心に残る何かを

感じてくれたことでしょう。

今までの座禅会の中で一番りつばだったという、和尚様の言葉をいただきさっきまで幼なかった子供達の

顔が急にたくましく見えたのは私だけではなかったと思います。

夏休みもあと二日、秋の気配を感じる本堂で、親子でこのような体験ができたことに和尚様、

お寺の皆様に感謝し大切な思い出にしたいと思います。

平成7年(1995)戦後50年の平和授業感想文 二年生の部

二年ごとうかおり

せんそうやころしあいにあったりしたら、わたしはほんとうにいやです。

もうこんなことがないように、みんなにいやなおもいをさせないように、

なかよしにしていたいです。

けんかにはじゅうぶんきをつけたいです。

もうせんそうはいやです。

 

二年 あんどうまりな

きょう、わたしは、せんそうのことをべんきょうしました。

すごくこわかったです。

きるものやたべるものがなかったりして、とてもたいへんだったんだな、

くるしかったんだなと思いました。

それに、せんそうは、子どものおかあさんやおとうさんを、うばったりするから、

わたしは、とってもこわいです。

わたしは、よそに一日とまっただけでもこわいのに、せんそうがあって、

おとうさんやおかあさんがいなかったら、どうしようって思ったらとってもこわいです。

それなのに、せんそうで、おとうさんやおかあさんがいなくなった子どもたちやあかちゃんは、

さびしくてなきだしたほどだったんだなと思いました。

せんそうは、これからぜったいにやらないほうがいいのに、フランスでかくじっけんをしています。

へいわなのがいちばんいいのに、じぶんの国だってあぶないのに、どうしてこんなことをするのでしょうか。

わたしのできることは、おともだちとなかよくすること、小さなせんそうをしないことです。

ぜんりょくでがんばりたいです。

 

二年 かわ村かつゆき

ぼくは、せんそうはおそろしいと思います。

でも、にんげんが、ぶきを作りつづければ、またせんそうがおきると思います。

ぼくは、こんなことになってはいけないと思います。

だから、一人ひとりがへいわをあいし、せんそうをしないといいつづけないといけないと思います。

 

二年 きらけいし

八月六日、学校で、へいわのべんきょうをしました。

なお川小学校に、おきなわの人がきました。

五十年まえ、なお川にかぞくとわかれて、せんせいにつれられてそかし、

川原木小学校でべんきょうしていた、とはなしてくれました。

たべものがなく、むら人の手つだいをして、たべものをわけてもらっていたとはなしてくれました。

ぼくは、せんそうは、たくさんの人が、かなしいことになるのでしてはいけないとおもいました。

 

二年 くぼたはるか

せんそうは、こわいなと思います。

おばちゃんたちは、なにもわるいことをしていないのに、せんそうをするなんてひどいなと思います。

おばちゃんたちは、おきなわから、なおかわにひなんしてきてながいあいだ、

おかあさんにあえないでかわいそうだなとおもいました。

これから、せんそうのないように、みんなで力をあわせて、へいわなくにをつくっていけばいいと思います。

 

二年 よしうちあやみ

わたしは、せんそうの話をきいて、せんそうはとてもこわいとおもいました。

もし、わたしが、そのじだいにうまれていたらそのとてもこわいせんそうを、

からだでかんじてうごけなくなるかもしれません。

こんなこわいせんそうは、二どとしないでほしいと思います。

 

 

二年 あんどうゆい

わたしは、いつもいつもせんそうはこわいと思っていました。

この話をきくと、せんそうは、まだつづくかもしれないのがよくわかりました。

その話の中で、しんだおかあさんのおっぱいをのむあかちゃんの話が一ばんかわいそうでした。

そして、がけからおちたのがなにかと思ってみると、それは人げんでした。

人げんがごみみたいになっていました。手が、かたほうない人もいました。

わたしは、しんだ人がかわいそうでたまりませんでした。

わたしは、こんなせんそうにはかないません。

いまは、ほんとうにめぐまれています。

まだ、せんそうをつづけているくにもあるとききました。

早く、ちきゅうからせんそうがなくなるといいとおもいます。

 

二年 大友ゆう

せんそうは、こどもたちまでまきこむなんてひどいとおもいました。

せんそうは、ひとのこころをくるしめ、すむまちをこわしてしまいます。

わたしのくにも、ばくだんがおとされたらたくさんのひとがかなしむとおもいます。

みんながかなしまないように、いまのままのへいわをまもっていかなければならないとおもいました。

 

二年 そみやゆみ

わたしは、せんそうのべんきょうをしました。

かなしいと思ったところがいっぱいありました。

せんそうは、したくないと思いました。

それは、せんそうは、人と人とがころしあいなんにんもの人がしんでしまうからです。

わたしは、せんそうとはかなしいことだと思いました。

 

二年 羽明つかさ

わたしは、火にかこまれてつぎつぎになくなっていく人たちを見ておどろきました。

せんそうしていてすごくつかれきっていました。

おふろもはいれずいのちをうしなっていく人もいました。へいわにくらせない人ばかりです。

せんそうというものは、すごくつらいと思います。

せんそうをしていない人もつらい思いをかんじると思います。

平成7年(1995)戦後50年の平和授業感想文 三年生の部

三年 武田かな

わたしは、沖縄の人たちのお話を聞いて、きるものもなくて、

ごはんもおなかいっぱい食べれなくてとてもかわいそうでした。

いまのわたしたちは、五十年まえとちがって、国はすごくへいわです。

沖縄では、せんそうのときかぞくは、ばらばらですごく悲しかったと思います。

せんそうは、すごくこわいと思いました。

 

三年 赤岩直

ぼくは、せんそうのとき、おきなわのひとが、

川らぎ小学校や直見小学校にきていたことがきょうはじめてわかりました。

きょうきたおばあちゃんのはなしでは、せんそうのとき直川では、食べていたものは、

みかんのかわやいものつるを食べていたということでした。

今のぼくたちは、あれはきらいというけれど、そのときは、たべものがなくて、

おちていた物を食べることもあったそうです。

ぼくは、これからは物をたいせつにしようと思います。

 

三年 稲吉たかのり

8月6日の平和授業におきなわの人たちが来て、せんそうのときのお話をしてくれました。

せんそうのときは、食べる物もないし、ミカンの皮をひろって食べたりしてとてもつらかったと思います。

また、お父さんとお母さんとはなればなれになって悲しかったと思います。

ぼくは、もうせんそうは、にどとおこってほしくないと思いました。

 

三年 山畑友美

わたしは、川らぎ小学校と直み小学校にせんそうのとき、学童疎開していた沖縄の人の話を聞いて、

親子はなればなれになって、せいかつしなければならなかったなんて、ほんとうにかわいそうでした。

もうせんそうは、してはいけないと思いました。

 

三年 輿石南

わたしは、せんそうはとてもこわいものだと思います。

なぜなら、ほかの国のへいたいが、入りこんで町の人たちをくるしめたりするからです。

学童疎開をしていた人たちの話を聞いていると「これは、本当にあったことなんだなぁ。」と思いました。

わたしは、もう二度とせんそうはしてはいけないと思いました。

 

三年 森竹美奈

私がいちばん心にのこったことは、お母さんとはなれて直川に来たときとてもさみしく、つらかったときいて、とてもかわいそうだと思いました。

私だったら、ないてとてもいけないです。

みんなは、なかなくて来たから強いなと思いました。

私は、これからもずっと平和であることをわすれません。いつまでも元気でいてください。

 

三年 西田亜希子

沖縄のみなさんこんにちは。皆さんがすんでいる沖縄は毎年あたたかくいい所。

直川村は暑い時さむい時があるので、しもやけができて大へんだったでしょう。

私が、いちばんおどろいたのは、みなさんが小学校のことしごとをしていたとういことです。

みなさんは、すごくきびしい中をすごしていたんだなぁと思いました。

 

三年 山ぎわ一ほ

親からはなれて、おきなわから直川にそかいしてきたのは、三年生のときだったそうですね。

わたしだったらさみしくていけません。

食べ物がないのが一番こまったそうですね。

今では、たべものがなんでもあるし、とてもしあわせでよかったと思います。

二度とせんそうがおこらない平和な国にしたいです。

 

三年 御手洗法子

8月6日今日は、沖縄の方が私たちの学校直川小学校にわざわざきてくれてありがとうございました。

私のおばあちゃんは、せんそうとうじ、4年生だったそうです。

きょうこられた方は、おばあちゃんと同じ学年だったそうです。

それで、せんそう中は大分にきてどう思いましたか。

それと今日は、せんそうの映画を見ました。映画をみていたらこわくなりました。

やっぱりせんそうはこわいです。

 

三年 中島智之

きょう、はじめてせんそうの話を聞いてたいへん悲しくなりました。

なぜなら、ぼくたちと同じくらいの子どもたちが父さんや母さんとはなれて、遠くでくらしていたからです。

そして、何もわるいことをしていない人がいっぱい死んだからです。

ぼくは、二度とこんなせんそうは、したくないです。

 

三年 守永知未

わたしは、沖縄の人たちのはなしを聞いて、

たべるものがなくてごはんもいっぱいたべれなかったことがよくわかりました。

いまのわたしたちは、五十年まえとちがって、くにはすごくへいわです。

せんそうgはあったときは、沖縄の人たちは、かぞくがばらばらですごくかなしかったそうです。

わたしたちは、ぜったいせんそうはあってほしくありません。

 

三年 橋迫奈央

家ぞくとはなれて、遠い直川まで来て、さびしかっただろうな。

食べるものが、おべんとうばこの半分でかわいそうだな。

今は、食べ物がいっぱいあるのに、

五十年前は、せんそうで食べるものが少ししかないなんて、本当にかわいそうだな。

せんそうでいきてきた人は、強い人だなぁと思いました。

平成7年(1995)戦後50年の平和授業感想文 四年生の部

四年 御手洗昌子

八月六日に、わたしたちの学校「直川小学校」にきてくれてありがとうございました。

みなさんおお話を聞いて、とてもせんそうはこわいものだなぁと思いました。

くろうしたんだなぁとも思いました。

せんそうがあっていた時代には、食料があまりなくて、

せんろにおちているみかんのかわをやいて食べていたという話を聞きました。

食料もすくなくてくるしかったけど、

まだくるしいのは、お父さんやお母さんそして兄弟ともわかれてくらすことじゃないかなと思いました。

みなさんは、せんそうがあっていた時、まだ、私たちと同じくらいで、

お父さんとお母さんとわかれてくらしていたと聞いてびっくりしました。

せんそうでもいやなのに、家族とわかれてくらすのはもっといやじゃないかなぁと思いました。

それで帰ってみると、家族の何人かが死んでいたら、

いままでずっとがまんしていたのが、みずのあわじゃないかなと思いました。

直川にそかししてきて、家族のみんなと会えなくて、それをずっとがまんしてきたのに、

帰ってきて死んでしまっていたら、とても悲しいなと、私は思いました。

みなさんが、直川村にそかいしていたときに私のばあちゃんは四年生でした。

兄弟が七人もいて、ばあちゃんは上から二番目です。ばあちゃんの兄弟はみんなたすかりました。

みなさんのお話を聞いて思ったんだけど、今は食料も買えばいくらでもあるし、

せんそうもないし、とてもしあわせなんだな。と思いました。

初めてせんそうのくるしみがわかりました。

ありがとうございました。

 

四年 戸高恵里

今日は、とう校日(平和じゅ業)でした。

九時に学習センターに行きました。

おきなわの方のあいさつなどがあって、ビデオ(せんそう当時のすごくこわい)を見ました。

見ている間、私はドキドキのれん続でした。

もしも、このときせんそうの中に私がいたとしたら、どうなっていたのだろう・・・・。

食べ物も着る物も今私たちがくらしているのとまったくちがいます。

私だったら、たぶんいやぜったいにそういうくらしを、たえしのんで生きれなかったと思う。

そして、それを伝えるために、

わざわざ遠いおきなわから、ここ直川まできてくれたみなさんにかんしゃしたいと思います。

私たちは、せんそう中に生まれていなかったから体験された人に

「そういう気持ちわかるよ。」なんていうことは言えないけど、

このようなことが、ずーっとなく、平和にみんな仲良くくらしていけることを、ねがうことはできるから、

できるだけのことはしていきたいと思います。

本当に今日は、今まで以上に「平和というものはすばらしい」ということを学ぶことができてよかったです。

 

四年 前田昌子

わたしは、ビデオで防空ごうの中の死体を見て、

「なんで、かんけいない子どもや女の人やお年よりをまきぞえにしなければならないのだろう」

そればかり思っていて、くらしくなって、手に持っていた髪をにぎりしめていました。

ビデオをいっしょに見ていたお母さんは、

「小さな男の子が一人でふるえていた。その場面が忘れられない」といっていました。

わたしも「もしもせんそうが起こったらどうしよう」と考えました。

次に、教室に帰って、おきなわから来た三人の話を聞いて、わすれられなかった事は、

「みかんのかわをひろって、火であぶって食べていた。」と言う事です。

こんなことは、今のわたしたちのくらしでは信じられない話なので驚きました。

それから、もう一つ林さんが、

「家の人と二年くらいはなれていたら、どんな気持ちになりますか。」としつ問をしていましたが、

わたしは。「早くお家の人に会いたい。」気持ちでいっぱいになると思います。

林さんたちの話を聞きながら、せんそうは、かんけいない人をまきぞいにして、

数えきれないたくさんの命をなくすので、ぜったいにしないほうがいいと思います。

せんそう当時とくらべて、今のわたしたちのくらしは、食べ物はあるし平和だと思います。

最後になったけど、PTA会長さんがいっていた「目に見えないプレゼント」とは、

「せんそうのこわさとせんそうはぜったいにあってはいけない」と言う事を、

おきなわから来てくれた十八名の人が、私たちに持ってきてくれたと思いました。

 

四年 上村奈央美

八月六日の出校日に、おきなわの人が来て、せんそうのことを話してくれてはじめてしった。

五十年前にこんなことがあったなんてしりませんでした。

おきなわから、直川のほうへ疎開して来た人たち、私とおなじ年で、

お母さんたちと別れて違うところに来ての勉強は、さみしくてとてもたえきれなかったと思います。

でも、お母さんがわりの人がいたから、すこしはすすんできたかもしれません。

私にはとてもできません。

駅におちていたみかんのかわを焼いて食べていたなんてしりませんでした。

そのみかんを食べるには、ゆうきがいったと思います。

船に乗った子どもたちを見て、お母さんたちは、さみしくなったと思います。

人が人をころしあうなんてぜったいないほうがいいです。

ずっと平和な村でいたいです。

 

四年 村上奈穂

八月六日の出校日の日に、昔せんそうのために、

おきなわから直川へそかいしてきた人がきてくれました。

学習センターでいろいろな話をききました。

わたしは、その時、一番すごかったのは、ビデオで見た何万人、何千人という人の死体があったことです。

「すごいや、すごいや」ではすまされぬむござです。

それから、教室ではとう時四年生だった人がきてくれていました。

その時、きいた話では、駅のせんろにおちていたみかんのかわをやいて食べたそうです。

だれが食べたかもわからないみかんのかわをやいて食べたのだから、

ぜんぜん食べ物がなかったんだと思います。

ごはんが食べれないとおなかもすくし、もてません。

そかいしてきた人は、お父さんやお母さんとはなれてとてもかなしかったと思います。

私は、これからもせんそうでひがいをうけた人たちの事を思って生きていきたいです。

 

四年 川村明日香

八月六日に、沖なわからせんそう当時、この直川小学校にそかいしてきた人がきました。

この人たちは、当時三年生、四年生、五年生、六年生の人でした。

せんそうのときのことをくわしく話してくださいました。

せんそうのせいで、そかいしてお父さんやお母さんとはなれてくらし、

食料がなく、いものつるやみかんの皮を食べていたそうです。

せんそうは、人の命を次々とうばっていきました。

食料がないなんて、わたしたちだったらたえきらないだろうと思いました。

お父さんやお母さんとっしょにいられなくて、連らくもとれない、

帰ってきたらもしだれもいなかったらたえきらないだろうと思いました。

せんそうの中、この直川にきて少しは、らくに生活するようになったと思いますが、

大変だったことがたくさんあったようです。

初めて、本当のせんそうのおそろしさがわかりました。

じっさいにたいけんした人たちおは、悲しみや苦しみを味わってきたんだと思います。

私は、たいけんしたことはないけど、とてもおそろしいものおもいました。

 

四年 安藤綾

八月六日の平和じゅ業では、おきなわから直川に疎開してきた人が来て話をしてくれました。

また、おきなわ戦のビデオ見ました。

ビデオでは、とうじのおきなわがどんなふうだったかとてもよくわかりました。

つぎに、話をきいて教室にかえりました。

教室では、とうじ四年生だった人がきて話してもらいました。

話では、かごしまの近くまでが来て、よ中でぎょらいを受けた船もあったそうです。

そんななかで、そかいしてきたそうです。

きしゃで直川についた時は、たくさんの人たちがむかえにきてくれておにぎりをもらってたべたそうです。

ほかにも、せんろにおちていた、だれがたべたかわからないみかんのかわをやいてたべたり、

しおを作ってうりにいったりしてたいへんくろうされたそうです。

私が一番心に残ったことは、二年間もおやとわかれてれんらくもとれないことです。

自分のおやが生きているか、しんでいるかわからないということは、ほんとうに心ぱいだったと思います。

おきなわにかえって、おやとあったとき、とてもうれしかったと思います。

おきなわの人が、はなしてくれたことはそうぞうもできませんが、とてもいい勉強になりました。

また、こんなきかいがあるといいです。

 

四年 久保田笑美

私は、8月6日の平和じゅ業でおきなわの人からテレビや写真ではわからない事をおしえてもらいました。

おきなわの人の話の内容は、昔の食べ物のお話やせんそうの中のくらしなどいろんな話を聞かせてもらいました。

私は、せんそうの話を聞いて、いままでわからなかった事がわかりました。

おきなわの人は、私たちに一つ一つていねいにこまかくお話をしてくれました。

私たちは、じっさいにせんそうをたいけんしていないけれど、

おきなわの人の話を聞いてだいたいわかりました。

とてもいい勉強になりました。

これからも、もっとせんそうのことを聞きたくなりました。

私は、こうしたお話のなかで、二度とせんそうなんかない世の中にしていきたいと思いました。

平成7年(1995)戦後50年の平和授業感想文 五年生の部

 

五年 吉内崇

ぼくは、ビデオやおきなわの人の話を聞いて、戦争のこわさをしりました。

遠いおきなわからそかいしている人がいたなんてしりませんでした。

おきなわを出るとき、「いったいどんな気持ちだったんだろう。」「もし自分だったらどんなことを考えたんだろう。」と思いました。

「そかい先へいきたままつけるか。」と考えながらの旅、

また、「いつおきなわへ帰れるか。」「おきなわの人達は、どんなになるのか」とおもうと、

たいへんつらかっただろうと思いました。

ばくは、両親とはなればなれになっておきなわから遠い直川へそかいしてこなければならなかった事を知り、

また、当時の話を聞き、戦争のおそろしさこわさを知り、二度と戦争をおこしてはいけないと思いました。

おきなわに帰れて大変よかったと思いました。

 

五年 曽宮弘行

具志堅小学校から直川小学校に疎開してこられた人たちから、戦争中の話を聞きました。

くるしい戦争を体験し、その中を生きのびてきた人たちの話でした。

話を聞いていると、今のぼくたちの生活と比較して考えられない生活でした。

具志堅での生活、船の中での生活、正定寺での生活すべてが地獄のようなものでした。

この苦しみは、戦争をけいけんしたものしかわからないものだと思いました。

戦争というものは、つみのない人まで殺し、人をふこうにおとしいれるざんこくなものです。

戦争は、これからもずっとやらないほうがいいと思います。

 

五年 久保田霞

八月六日に毎年平和授業をしているけど、今年は戦争にあったおきなわの人たちが、直川にきてくれました。

全体集会の時の話は、しっかり聞いたつもりだったけど、暑くていつのまにかぼけっとしていて、

けっきょくいっしょうけんめい話をしてくれた人の話を覚えないままになってしまいました。

教室では、当時そかいされていた三人の人が、話をしてくれました。

とくに心に残ったことは、よその家に争っていきたがったという話です。

「手をつないでいけば、ごはんがもらえるから」と

小さい子どもたちまでがいきたがったのが、かわいそうと思いました。

それから、当時五年だった人が、雪の日にジャガイモをぬすんだのも心に残りました。

人の物をつるのはいけないけど、それだけ空ふくだったんだなと思いました。

どこの国でも、戦争がなくなって平和になってほしいです。

 

五年 山下英美

私は、せんそうのことをきいて、むかしは、たいへんだったんだなと思いました。

ごはんは少しだけだし、遊べないというところがかわいそうと思いました。

いまの私たちは、いつでも遊べるし、ごはんもいっぱいたべられます。

それにくらべてたら、おきなわ人は、

お父さんやお母さんとはなれてくらしてさびしい思いをしていたことがよくわかりました。

私ならそんなことはいやですぐににげだしたりすると思います。

おきなわの人は、よくそれにたえられたなぁと思いました。

おきなわからわざわざ直川にきてくれた人たちにせんそうのことをきいて、

「せんそうはぜったいにおこしてはんらないんだなぁ」とすごく思いました。

私は、せんそうのないときにうまれていますが、

今日の話をきいて、これからはせんそうがおきないように努力しないといけないと思いました。

 

五年 森竹一雄

戦争の話をきいて「とてもこわいものだ。」としりました。

戦争で戦った人は、

ほとんど死んでしまって小さいこどもや年取った人もどんどんころされていったからです。

また、ふねんい子どもがたくさんのっていて、

そのふねがしずめられて、ほとんど死んでしまったということをきいて、かわいそうだなぁと思いました。

沖縄では、アメリカ軍のきちがあってそこに一歩でも入るところされるといっていました。

そんな所で生活している人は、すごいなぁと思いました。

ぼくたちは、今こういう生活ができてしあわせです。

 

五年 安藤千尋

わたしは、せんそうのことをおきなわの人から聞いて思ったことは、

せんそうというものは、小さなこどもまでをころしてしまうほどざんこくなものであるということです。

そかいしてきた人は、食べる物もなくて、

ふゆには着る物も不自由していたということでとてもかわいそうでした。

食べる物がないので、せんろにおちているみかんのかわを食べたり、

はたけにあるものをぬすんだりした生活だったということでした。

それだけいつもおなかがすいていたんだと思いました。

「きえないきずが心のきずとして残っている」とおきなわの人がいっていたように、

たぶんことばでは言えないくらいいやな思いをされたんだと思いました。

おきなわに行くと、せんそうでなくなった人の「とう」がたてられているそうです。

平成7年(1995)戦後50年の平和授業感想文 六年生の部

 

六年 芦刈匡輔

八月六日、直川小学校に沖縄の人達が来ました。

この人達は、五十年前集団疎開で直川村に来た人たちです。

初めに、学習センターで話を聞いたり、ビデオを見たりしました。

その後、教室で当時体験したいろいろな話を聞きました。

疎開する時、船の中では水が足りなかったら、蒸気を利用して落ちてくる水滴を飲んでいたということ。

また、台風にもあったらしく航海するだけでも危険であったということ。

その上、船が沈められることもあるので、どのように心配したかぼくには想像できません。

こんなにしてまで疎開しなければならなかったことは本当に大変だった思います。

こうしたことは、ぼくたちの時代にあったほしくありませんし、

二度と戦争が起こらないように願いたいです。

戦争をなくすためには、たくさんの人達や戦争の被害者の人達が、その体験を伝え続けることだと思います。

また、被害者の人達は体を大事にして長生きしてほしいです。

 

六年 松下奈津美

八月六日、戦争中に沖縄から直川にそかいしていた人達が来て、

当時のことをいろいろと教えてくれました。

その中で、特に思ったことは、「戦争中でもたのしいことがあった」といったことです。

私は、戦争といったら、つらくかなしいっことばかりあると思っていたから、

このことばには、ちょっとびっくりしました。

よく聞いて見ると、「そかいでは、戦争のことを忘れていた時がたのしかった。」ということでした。

でも、私は、

「親と子が、はなれて生活しなければならなかったので、とてもさびしかっただろうな」と思いました。

もし今、戦争がおきて親と子がはなればなれになって生活するのはとても悲しいと思います。

戦争は、みんながつらく、悲しい思いにさせるだけでいいことは何もありません。

だから、私たちは、戦争をぜったいにしてはいけないと思います。

沖縄の人が、話してくれたことを、もう二度とくりかえすことがないようにしたいです。

 

六年 矢野宏和

ぼくが、平和学習をして勉強になったことは、戦争のこわさとそかいの悲しさです。

戦争のこわさは、写真などで少しは知っていましたが、

沖縄の人の話やビデオで本当のこわさを知りました。

でも、ぼくは、戦争にあったわけではないので、これかも機会があったら、

もっともっとくわしく話を聞きたいです。

そかいは、親とはなれて生活します。ぼくたちは戦争のない時代に生まれこうした体験はありませんが、

考えられないほど悲しいと思います。話を聞きながらよくわかりました。

それだけに、こんな平和学習をしたこともよかったと思ってますし、

今のような戦争のない時代をいるまでも守りつづけたいです。

 

六年 前田哲明

八月六日の平和授業の時、沖縄から直川小学校に来てくれた。

この人達は、戦争当時、直川にそかいしてきてものすごく大変だったそうです。

そかいするとき、船の中では、ほとんど食べ物がなく、

水もまともに飲めなくて本当につらくて苦しい思いをしたそうです。

でも、このときよりも直川で暮らすほうがもっとつらかったそうです。

こんな話を聞きながら、人を殺す兵器を作って人を何人も何人も殺して、何がいいのだろうか。と思います。

住民たちまでまきこんで、一人ひとりの幸せをぶちこわしたり、

数え切れないほどの人達が苦しんだり、悲しんだりするような恐ろしい戦争は、

もう絶対に起きないでほしいです。

そして、そのためにも、ぼくたちにできる努力もしていきたいです。

 

六年 大友広太郎

8月6日、この日は原爆記念日でした。

学校では。戦時中沖縄から直川へ学童そかいできたかたがたをお迎えして、

そかい中の生活の様子などをうかがいました。

その内容は、今の私たちではとてもたえられないようなものばかりでした。

沖縄から九州へ来る船の中では、水はほとんどなく服も一枚しかなかったそうです。

ぼくが、「沖縄と直川では、どちらがよかったですか」と聞くと

「沖縄がよかったです。」とこたえてくれました。「どうしてですか」と聞くと、

「沖縄には食りょうがあったし、なにより親がいてくれたからです」といっていました。

ぼくは、この授業を通して、そかいは、単に親元をはなれるだけではないということを知りました。

食りょうはほとんどない、服も一枚しかないなどもう言葉では表せないほどつらかったと思います。

だからぼくたちの世代では、戦争のない平和のたえない世界にしていかなければならないと思いました。

 

六年 甲斐まゆ

私は、戦争のことなどあまり知りませんでした。

だけど、8月6日に沖縄から直川にそかいしてきたという当時三年生から六年生までの人たちの話をきいて、

自分が今まで知らなかった戦争の話をたくさん学びました。

そかいしていた人たちは、沖縄のお父さんやお母さんと別れてとてもさびしかったと思いました。

いろんな話を聞いたけど、そかいをしてきた人たちは、どんな思いで沖縄をでて、

どんな思いで沖縄に帰って行ったのだろうか。

また、戦争中は、食べ物もない。食べたくても食べれなかったことを考えると、

今の私たちはごはんをたくさん残したりしてとてもぜいたくだと思いました。

もう二度と戦争はしてはいけないと思います。

そのためには、「せんそうの話はこわくて聞きたくない。」と言わないで、

「どうすれば戦争はなくなるか。」今しんけんに考えていかないといけないと思いました。

 

六年 曽宮由香

八月六日の朝、私は、ドキドキしていました。

だって、沖縄の人がくると聞いていたからです。

私は、戦争をよく知りません。私が思っている戦争は、こわい、つらいというイメージです。

実際に沖縄の人が来てくれていろいろな話を聞いて、

私のもっていた心の中のイメージは、もっと強くなりました。

とくに、何人ものそかい者のお父さん・お母さん代わりになってお世話をする人が、

二人しかいなかったということを聞いてびっくりしました。

それだけ大変だったのだなぁと思いました。

私の家の母は、二人でも大変そうに見えます。

また、両親と離れて生活するということです。

私は、今小学校六年生です。自分のことが自分であまりできません。

ほとんど母や祖母からやってもらっています。

それが、当時小学校三年生で親と離れて生活していたと聞いて「すごいなぁ」と思いました。

それだけ、悲惨でした。

八月六日に私は。本当にあったこと、本当の戦争を教えていただきました。

もう戦争は、ぜったいにあってはならないと思いました。

 

六年 山下愛

私は、今日初めて戦争のことを聞きました。

最初は、「戦争」と聞いただけでは、こわい・かわいそうということがまず最初に浮かんできます。

でも、その中でもつらくて、きびしいことがあることを知りました。

当日、六年生のクラスに来てくれたのは、

森田吉雄さんと友寄久雄さん、中座房子さん、富山ヨシ子さんの四人です。

その中でも、森田さんは、戦後のことをいっしょうけんめいに話してくれました。

その話の中でなみだがありました。

今の子どもは、戦争をしりません。

だから話だけではわからないことがたくさんあります。

しかし、なん度か話を聞いてるうちに「もう二度と戦争をしてはいけない」と心から思いました。

食べる物もない、親もいないそんな悲しいことはあってはいけないと思いました。

私たちは、じっさいに戦争にあってはいませんだからこんなことがいえるのかもしれません。

けど、私にとっては、8月6日はとっても勉強になり、心をうたれました。

そして私までも悲しくなりました。

8月6日にきてくれた人たち全員に今感謝しています。

 

六年 大友美穂

私は、「平和を願う日」に、学んだことが三つあります。

一つは、戦争のきびしさのこと。

二つ目は、たったひとつのばくだんで、たった一つしかない命をとりさってしまうこと。

三つ目は、戦争のないしあわせな今のこと。

この三つのことは、八月六日に来てくださった沖縄の(当時そかいしてきた人)の話を聞いて学んだことです。

今、テレビでも問題になっているかく実験では、「地球を守ろう」という運動がさかんに行われています。

広島・長崎でのことを考えると、かく実験は私も反対です。

このようなことが、二度と起こらないように子どもができることは、

「みんな仲良く、たすけあって生きていく」ということではないでしょうか。

 

六年 西田麻衣子

八月六日には、平和授業で戦争当時川原木小学校にそかいしていた人が、直川小学校に来てくれました。

私の知っていた戦争のつらさは、食べるものもなく水もろくに飲めず逃げまわる生活でした。

でも、沖縄から来た人たちのつらさは、そればかりでなく、

「直川は、沖縄よりもずっと寒かった」ということ。

「沖縄のことがわすれられなかった」ということでした。

お父さん、お母さん、そして家族にも会えなかったかたよけいにつらかったと思います。

沖縄の人は、泣いてその当時の様子を私たちに話してくれました。

私には、こんなことはぜったいにたえきれないと思いました。

それにたえてきた沖縄の人は、本当にすごいなぁと思いました。

戦争のない時代に生まれた私は幸せです。

これからもずっと平和がつづくといいです。

 

六年 村上昌之

8月6日は、平和授業でした。

沖縄から、戦争中でそかいしていた人たちが、わざわざ直川まで来てくれました。

最初は、戦争のビデオを見ました。

その後、各教室に分かれて沖縄人たちから戦争当時の生活のようすを話していただきました。

はじめに、「沖縄の生活と直川の生活とでは、どちらがきつかったですか」という質問には、

「直川の方がきつかった。沖縄の冬は寒くなかったけど、直川の冬はすごく寒かった」ということや、

「ろくにご飯食べれなかった」というようすを話してくれました。

なかでも、ぼくが一番心に残ったことは、船で直川にくるとき、

「船の中で水に一番こまった」という話でした。

「海の上では、水がないから船のじょう気が、えんとつにつき流れ落ちてきたのを飲んでいた。

油くさかったけど、それをのまずにはいられなかった」ということでした。

あらためて、「なんで戦争をするのだろうか」と思いました。

 

六年 御手洗佳奈

8月6日は、平和授業がありました。

沖縄から直川の正定寺にそかいしてきた人たちがやってこられました。

まず、ビデオを見て学級ごとに授業をしました。

みんなで質問をしました。

「直川と沖縄は、どちらがよかったですか」という質問には、

「やっぱり直川は寒いし、何よりも父や母といっしょにいた方が幸せです。」と答えてくれました。

そんな気持ちがわかるような気がします。でも本当のところはわかりません。

実際私は、父・母・家族別々に暮らしたことがないからです。

しかし、もし私だったとしたらと考えると、いつも外のすみで泣いていると思います。

沖縄の皆さんは、とても強いと思いました。

私は今幸せです。

生きていること、走れること、しゃべれること、遊べること。

だから、もう二度と戦争は起きてはいけない。起きないように自分にもできる努力をしていきたいと思います。

 

六年 小原和可子

私は、八月六日の平和授業に出席できなくてとても残念でした。

でも、父のおかげで沖縄の人たちと知り合えて、車の中で色々な話を聞けたり、

ホテルで沖縄伝統の踊りも見ることが出来たりして人一倍学習できたと思います。

おばあさんの話のなかには、全部「戦争がなければ」「戦争のせいで失った」などの言葉がありました。

そういう話の中で、私が一番心に残ったことは、おばあさん二人が話してくれたことです。

「でも、今考えると、あの小さな沖縄だったから死人やけが人があれだけですんだんだよ。

あれが今の東京だったら、どれだけの人が死んだだろう。あれが沖縄でよかった」という言葉です。

「自分たちが被害を受けて、外国人にも、日本人にもうら切られたのに、

なんであれが沖縄でよかったなんて言えるの」と疑問に思いました。

私だったら、日本人も外国人もうらんで、こんな大分に来る気がしなかっただろう。と思いました。

沖縄の人って強いな。日本中や世界中の人間でも沖縄の人の気持ちの強さに勝てないだろうな。

そして、沖縄の人の心の広さ(ゆたかさ)にかてないだろうな。・・・・と思いました。

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ご本山妙心寺全国学童習字大会

 

【戸伏真衣子】・・直川小学校四年

私は、金賞などとったことがありませんでした。

だから一人だけ金賞がいますと聞いたときは、たくろうくんかなと思いました。

私の名前がよばれた時は、すごくびっくりしました。

習字が終って、お母さんにいうとびっくりしていました。

次もがんばりたいです。

石井祐太郎さん

 

《金賞をとったこと》・・・直川小学校四年生

ぼくは、こんど、金賞をいただきました。

今まで、金賞なんて、もらったことが、ありません。

とても、うれしくてうれしくてしかたんかったです。

それで、一番先にばあちゃんに「金賞をもらったよ。」と言いました。

それから、お父さんとお母さんにもほうこくしました。

これからもがんばって習字の練習に行こうと思いました。

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