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薄墨御綸旨

天保3年(1832)仁孝天皇(185年前)から正定寺第十六世珍宗全味和尚への玉鳳院塔主任命の書です。

このような紙に書かれた勅書を「御綸旨」と言います。玉鳳院は妙心寺の塔頭で花園法皇が無相大師を開山

として、離宮に妙心寺を創建した後、その一隅に玉鳳院を創立し禅宮として起居しました。

無相大師遷化の後、敷地内に遺骸が葬られ、開山堂(微笑塔)が建てられました。

 

書かれた紙は「宿紙」と云い、使用済みの和紙(反古紙)を漉き直して作った再生紙です。

そのために紙は「薄墨色」となっています。

朝廷においては大量の不要な公文書が発生したために和紙を再利用して漉き直しが行われていました。

天皇の命令でも略式の命令であった綸旨や口宣案には貴重な新品の紙は利用できず、

代替品として用いました。ところが、それがいつしか有職故実となって定着し、

逆に綸旨には漉返しされた紙を使用して作成するものとし、

新品の紙を用いることは作法に反すると考えられるようになりました。このために綸旨紙とも呼ばれました。

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