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正定寺の総代会

江戸末期には時代背景と共に寺院と檀家の関係が檀家制度という姿で形成されました。

「宗門改帳」の廃止にともない各寺院では「檀徒名簿」が作成されました。

 

正定寺に現存する最古の「檀徒名簿」は明治6年(1873)に作成された「結社帳」です。

檀信徒と共に「第四大区二十二ノ小区仁田原村 檀頭 小野半佑」とあります。

 

第四大区二十二ノ小区は「廃藩置県」後に行政区分された住所で仁田原村大庄屋の小野家当主が

仁田原村の戸長としてその職にあたり、寺院でも檀家頭として任にあたっていたと思われます。

 

小野家の末裔は大分市に移転して住居をかまえていますが、墓地は大庄屋廟から正定寺境内に移転し

144年経った現在も正定寺檀家として年中行事は欠かさず参拝をしています。

 

明治6年(1873)に作成された「結社帳」

明治10年(1877)に行われた「授戒会」の扁額には、「世話方」として9名の氏名が載っています。

【世話方】 甲斐弥五録 小野半佑 簀戸嘉佑 安藤吉郎 林亦佑 矢野茂佑 道越甚造 矢野弥平 簀戸杢佑

又、医師であった「井上春哲(神内)」「平井春譲(大鶴)」の名前も掲げられています。

本堂に掲げている「授戒会」の扁額

明治19年(1886)に妙心寺へ檀徒数を届けだした書類には「檀徒総代」として3名の名があります。

【檀徒総代】 林 又佑 羽明籐七 甲斐弥吾録

明治31年(1898)には「総檀徒結社明細帳」が作成されそこには「花園教会担任係」として係長の他に係員

の氏名が記されています。

【花園教会担任係】

林宇三郎 小田木治佑 櫻井孝吉 小野庫佑 矢野惣五郎 武田源蔵 古元万平 小野宇八

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