壽山和尚の のこした話
禅寺でクリスマスケーキ・・・・?
子供が育つ間は、禅寺といえどもクリスマスケーキを買って食べます。
うがった方は「お寺でキリストさんの誕生日を・・・」などと言いたそうですが
別に本堂で賛美歌を歌ったりはしませんよ。
佐伯市7万6千人の中でクリスマスケーキは食べたが、今夜から明日にかけて
ミサに行く方はどれだけいるのでしょうか?
クリスマスケーキを食べた佐伯市民は、教会の前を通るときは
頭を下げて欲しいものですね。
大分国立医療センターで12月24日を迎えたことがあります。
食事にケーキが出てナースさんがキャンドルを灯して病室を回るクリスマスが
とても印象的でした。
患者一人一人にクリスマスカードも頂きました。
5年前の事ですが今でもクリスマスカードは大切にとっています。
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昭和20年代に寺で生まれた子供は12月24日ではなくて、
4月8日に「特別上等な羊羹を食べていた」と聞いたことがあります。
※4月8日はお釈迦さまがお生まれになった日。
特別上等な羊羹がどのようなものなのか私は想像すら出来ません。
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新命が小学校の時、いつもケーキを届けてくれる「チカラおじさん」という人がいました。
いつも焼酎を飲んでいて声が大きいおじさんでした。
新命や娘はいつもケーキをくれるおじさんを学校の野外活動の畑や田んぼでも
見かけていましたからすぐに顔と名前は覚えました。
その頂いたケーキを子供達が食べるときに必ず、
「大きくなったら、チカラおじさんに票をいれんといけんので」と
今年84歳にる私の母が孫の二人に何度も言い聞かせていました。
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この「チカラおじさん」はとても選挙が好きで、ふだんから選挙運動?なのか
子供達にケーキを配ったり、高校受験の子供達には合格の祝電を送ったりしていました。
そんなチカラおじさんを村人たちは「選挙のための買収だ」と言っていました。
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ある3月の中頃にチカラおじさんの息子さんの13回忌の法事が自宅で行われました。
お参りしてみると仏間には施主のチカラおじさんがいません。
亡くなった故人の妹さんと母親に数人の親族が仏間に座っていただけで、
肝心のチカラおじさんがいません。
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和尚 「チカラおじさんは、いないのですか?」
早口の奥さん 「教育委員会に高校合格者の名前を聞きに行って祝電を打って来るので
遅くなると思いますので先にお経を上げて下さい。」
和尚心の中 「一人息子の法事に選挙運動をするとは、あきれたものですね~
13回忌のお勤めが終わりお斎膳の席に着いたとき、
故人の妹さんへ「本当に祝電を打ちに行ったのですか?」と聞きました。
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すると妹さんからこんな話を聞かされました。
今日の13回忌の兄は、バイク事故で大分と熊本の県境で亡くなってしまいました。
突然の事で、私たち家族はどうしていいのか目の前が真っ暗になりました。
兄を迎えに行き葬儀をすませ、その後家族は生きていく気力がないまま
年月が過ぎました。
※当時の様子を故人の祖母が書きしたためています。
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父は事故から数年経って、高校受験合格の祝電を打つようになりました。
たぶんそれは、兄の命日が私の高校受験の合格日だったからだと思います。
私の高校合格を祝うはずの3月13日が兄の事故で祝えなかったから、せめて
村内の高校合格者へ誰よりも早くお祝いをすることで、私への罪滅ぼしと考えた
のかも知れません。
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そうなのか。
娘さんの高校合格を祝ってあげられなかったから・・・祝電を・・・・。
選挙運動ではなかったのか。
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お寺に戻り、先の話を女房に話したら、女房からもこんな話を聞かされました。
クリスマスケーキもうちの子供達に渡す前に、チカラおじさんは必ず位牌堂にケーキを供えて
いましたよ。
息子さんの位牌に手を合わせて、それからうちの子供達に渡していました。
お寺の子供がうれしそうに食べる姿を、亡くなった息子さんの姿に重ねていたのかも知れないですね。
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面目ない。知りませんでした。
世間の勝手な噂話に惑わされてしまっていました。
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さっき、家族揃ってケーキを頂きました。
そのとき新命が「ケーキのおじさん」を思い出したので
こんな話を書くことにしました。
30歳近い新命はいまでも「チカラおじさん」のケーキを憶えています。
でも、1票を入れることが出来ません。
おじさんは平成20年1月19日に79歳で亡くなってしまいました。
1月なのに葬儀の最中に蝶々が飛んできて、会葬者を驚かせていました。
不思議な葬儀でした。
2014年12月23日 壽山和尚 ブログ記
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先代が遷化し7ヶ月経とうとしている中、ホームページのブログを読み返すと色々とのこしてくれた話が在りました。
情けないですが、私が正定寺に帰ってきて和尚と話した色々な話はそれほど多くは無かったように思います。
お寺にいてゆっくりと和尚と話す時間より、法事や行事の色々を優先していたからかも知れません。
しかし、そんな私が和尚から聞いた4~5年の量の話を若い寺庭さん(お嫁さん)がお寺にずっと居てくれたお蔭で私よりも
色んな話を和尚から聞いて覚えていてくれてます。『遠くの親戚より近くの他人』 ならぬ 『法事に出てる弟子より側にいるお嫁さん』
意味するところは違いますが、話をのこそうと思って話す和尚のはなしを、介護をする閑栖寺庭さんや遠くの娘や動き回る弟子より、
ゆったりと話す時間を作っていたお嫁さんが多くの話を聞いていたのは必然かも知れません。
若寺庭さんを娘の様に可愛がってくれた和尚と、「おとうさん、おとうさん」と呼んで父親の様にふたりで楽しそうに話していた若寺庭さんの 関係とその時間は尊く有り難いものでした。
若寺庭さんが通夜や葬儀で多くの涙を流していたのは、それこそ時は短くとも私よりも深く濃い時間を過ごしたからだと思います。
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