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正定寺の総代

日本の戦時下から戦後へと寺院組織も大きく変貌しました。

昭和26年の「宗教法人法」により現在へと変わって行きます。

昭和27年(1952)に大分県へ届け出た「寺院規則(定款)」には法律上の総代が明記されるようになり

ましたが、数百年の禅寺を支える檀家としての資質や信仰心に変わりはありません。

 

又、現在も檀信徒の信頼が大なる総代が選出されて禅の安心を求め

開山無相大師さまの最期の教え「請う、其の本を務めよ」と

開基花園法皇さまの「報恩謝徳」の聖旨による法灯護持に精進を頂いています。

 

法人設立当時の総代

矢野文作 林嘉二郎 小田木治 簀戸菊蔵

林 一人さん

 

《ご縁》

正定寺の役員を仰付かり何の役にも立たず、早や五年が経ちました。

日頃檀信徒の皆様には正定寺の法灯護持に御協力を賜わりますことを厚く御礼申し上げます。

特に地区の世話人様や婦人部の方々には大変御苦労をお掛け致して居ります。

この誌上を借りまして厚くお礼を申し上げます。

さて寄稿のお鉢が廻って、広報の久保田正巳さんまた和尚さんからも何か書いてと云われ筆を執りました。

私も「柚の原」と「上の地」と云う土地柄少年時代から寺に村する想い出はたくさんあります。

春のお釈迦様、学校から帰るとカバンを放り出し、ビンを片手にお寺に向って走ったものです。

戦中戦後の想い出は又の機会として。

処で役員を引受けて四名の責任役員で新しい宗教法人正定寺の会務を執行するに当り、

一応寺に関する色々な書類を閲覧検討した時のことです。

原始定款及び法人設立申請書等拝見をしました。昭和二十七年の設立申請であった。

代表総代小原千巌外四名、簀戸菊蔵、小田木治、矢野文作、林嘉治郎と署名捺印されている。

其の時父がそう云えば今夜も寺の会合、今日も寺の用事とか云ってお寺に通っていた事を思い出し、

四十数年前を懐かしく思った処です。

又々よく見ると捺印されている印鑑は、小生が勤務用に初めて作った印鑑ではないか。

再び深い感動を憶えた次第です。

閑栖和尚が林さん、これはやはり貴方に何かのご縁があっての事だと話された。

其の印鑑は、今でも佐伯のホンダセンターの印鑑箱の中にあり現役として使われて居ります。

私なりに其の時の状況を想像して見た。

各地区より外にも総代さんが出て居ましたが、やはり地元の寺に近い人を代表として作り、

当時、矢野文作さんは役場に勤務して居た関係又寺にも一番近い人だった故に彼が事務を

執ったものと思われます。

私も役場の一角に居た為便利よく印鑑を貸す事になったのでしょう。

いずれにしても四十余年前の電話もない時代、自転車で廻る以外仕方のない時代、色々と御苦労が

あった事と思っている処です。

私も何かのご縁か宗教法人として新しく出発の正定寺に係わった事に深く感謝した処です。

以来先祖を祭る菩提寺。傍の道に違わぬよう自分の出来ることを奉仕しようと心に深く刻んでいる

この頃であります。信仰も人一倍とは行きませんが、よく信仰もします。

善因善化、悪因悪化を信条として先祖を敬い日一日を感謝しながら今のところ元気に過ごして居る

この頃であります。

合掌

昭和49年(1974)

長田良太郎 (仁田原)  小野綱吉 (仁田原)  柳井角治 (赤木)  甲斐照光 (直見)

昭和50年(1975)

久保田慶治 (仁田原)  簀戸國元 (仁田原)  廣瀬伊久太 (赤木)  小野角太 (直見)

昭和55年(1980)

小野春雄 (仁田原)  長田秀夫 (仁田原)  柳井春雄 (仁田原)  甲斐照光 (直見)

平成3年(1991)

長田秀夫 (仁田原)  林一人 (仁田原)  柳井孝義 (仁田原)  甲斐照光 (直見)

平成15年(2003)

林一人 (仁田原)  柳井孝義 (仁田原)  柳井道則 (赤木)  小野永生 (直見)

平成16年(2004)

柳井孝義 (仁田原)  柳井道則 (赤木)  甲斐照光 (直見)  小野永生 (直見)

平成21年(2009)~

御手洗晴視 (仁田原)  安藤廣美 (赤木)  甲斐照光 (直見)  小野永生 (直見)

平成24年(2012)~

御手洗晴視 (仁田原)  安藤廣美 (赤木)  甲斐照光 (直見)  小野永生 (直見)

 平成27年(2015)~

小野永生 (直見)  御手洗晴視 (仁田原)  安藤廣美 (赤木)  久保田与治郎(仁田原) 

 

総代の選出は任期時の1月20日に行われる「定例檀信徒総会」で選出され住職が任命いたします。

その後、本山へ申請します。6月末には大分県総務部へ総代・役員などを届け出るようになりました。

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